2004年春 スペイン美術館鑑賞記(1)
― スペインの春は遅い ―


 
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モンジュイックの丘から眺めるバルセロナ市内。
写真提供:桂田 祐介氏
(著作権@Yusuke Katsurada)

ちなみに管理人が宿泊したホテルは2つの塔の左横に見える横長の四角い建物。
 2004年、春。テロによるマドリッドのアトーチャ駅列車爆破があったのは、スペイン行きの航空券を手配した後だった。痛ましい事件の成り行きを憂いながらも、とにかく行けばなんとかなると、自分を励ましながら成田を出発した。

 今回のCARAVAGGIO追っかけ旅行は、モンセラートの「瞑想する聖ヒエロニムス」、マドリッドのプラド美術館「ダヴィデ」、ティッセン・ボルネミッサ美術館「聖カテリーナの殉教」を観る旅だ。実はスペインは2度目で、バルセロナ、マドリッド、トレドを巡ったことがある。それなりの名画の数々は観たのだが、なにしろ残念なことに、当時は未だCARAVAGGIOにハマっていなかったのだ。今回はとにかくCARAVAGGIOを観たい一心、以前訪ねた記憶だけが頼りの旅だ。

 東京を出る時は春爛漫のうららかな陽射しだったが、バルセロナは予想外に気候も逆戻りした春先を想わせる風だった。以前、ロンドンを訪れた時、イースター寒波で震え上がったことがある。欧州の青帝は気まぐれなのだろうか? 道行く人々がオーバーコートやダウンジャケットなのに、私は春物ジャケットで、実際以上に寒く感じる。しかし、備えあれば...で、薄手ウールのマフラーも持参していたので、首元に巻いて凌ぐことにした。ほっ(^^;

 バルセロナではモンセラート行きの列車が出るエスパーニャ駅のすぐ側のホテルを予約していた。アメリカンタイプのモダンなホテルで、案内された部屋はエスパーニャ広場に面し、窓からは真正面にモンジュイックの丘が広がる。その丘の上に威風堂々と聳え立つのがカタルーニャ国立美術館だ。モンセラートに行く前にどうしても寄りたいと思う。

 エスパーニャ広場からモンジュイックの丘に続く道はかなり広く、途中には大きな噴水広場まである。前日夕方、ホテルにチェックインした後に散歩してみたら、午後7時頃、突然の音楽と共に噴水のパフォーマンスが始まった。ちょうど土曜の夕べ、午後7時と言っても欧州の日没は遅いから空は明るい。多くの市民や旅行者たちが、丘に続く長く広い石段に思い思いに腰掛けながら、水が音楽に合わせてダイナミックに踊るさまを楽しんでいた。


◇カタルーニャ国立美術館Museu Nacional d'Art de Catalunya(MNAC)
   

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「国立カタルーニャ美術館」
写真提供:桂田 祐介氏
(著作権@Yusuke Katsrada)
 カタルーニャ国立美術館(MNAC)は噴水の広場を通り、更に広い階段上った頂上にある。階段が何層も続くので、途中にエスカレーターまである(^^;。確かに高齢者や身体の弱い方たちが全ての階段を上りきるのは困難だと思う。自分でもハァハァ言うくらい疲れたが、日頃の運動不足にはちょうど良い運動になったようだ(笑)。

 丘の頂きに聳え立つ美術館建物の重厚な偉容に圧倒される。向かって左前スペイン国旗両隣に、黄色に4本の赤が入った旗が見えるが、この旗がカタルーニャ(国)旗だ。カタルーニャは古くから民族自治意識の強い土地柄で、スペイン語主流のカスティーリア(カスティージャ)語とは異なる独自の言語・文化を持っていた。ところが、スペイン内戦時代、フランコ政権により弾圧され、カタルーニャ語(カタラン語)を禁止されるという辛酸の歴史を経ている。現在はカタルーニャ語も復権し、スペインからの独立推進派も活動している。
 中央集権の堅固な日本と違い、スペインは独立意識の強い地方州の集合体だ。元々がそれぞれ異なった民族言語文化を持つ独立小国だったからだ。未だにバスク地方では強硬な独立派テロも続いている。あのゲルニカのある州だと思うと、なんだかわかるような気もする...。つくづく思うのだが、ラテン系の国は地方意識の方が国よりも格段に勝る。

 さて、丘の上で一息ついて、MNACの重厚な柱門を入りチケットを購入した。ルーアン美術館の思わぬ企画展で味を占めているので、今回も迷わず企画展込みのチケットにした。目指すロマネスク美術のフロアは左棟、ゴシック美術は右棟になっている。受付けでもらった館内案内図を見るとルネサンス・バロック棟もあるのだが、館員に尋ねたら現在閉棟中とのことで泣いてしまった(>_<)。

 カタルーニャ美術館のロマネスク美術の素晴らしさを知ったのはNHK「世界美術館紀行」を見てだった。ピレネー山麓のロマネスク教会群で発見された見事な壁画...。第二次世界大戦中もその至宝を守った歴史の重さ。だが、それよりも私の興味を掻き立てたのは、当時のボイ渓谷の村人たちが、敬虔なキリスト教徒であるとともに勇敢な兵士として、イスラム勢力にたいする十字軍やレコンキスタ(国土回復運動)に参戦してきたという歴史だった。

 カタルーニャ地方には約1900のロマネスク教会が存在するという。8世紀初頭、イベリア半島はイスラムの領土と化したが、ちょうどその頃、ピレネー山脈沿いサンティアゴ・デ・コンポテスラでキリストの12使徒である聖ヤコブの墓が発見され、イスラムに押されていたキリスト教徒を奮い立たせたた。しかし実際はクリューニュー修道会が画策したらしいが...(^^;。その山脈沿いの巡礼路はキリスト教世界のレコンキスタ最前線としての役割を担ってもいた。国土回復の戦いを経るとともに、12世紀初頭に山間に競う様に建築されたのがロマネスク教会群だった。やはり独立意識の高い村人たちだからだろうか、土地により、それぞれ独自性を持った教会が建てられている。自分たちの村の教会への誇りと服従を感じる。



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「栄光のキリスト」 
1123年
タウルのサン・クリメン教会(Sant Climent,Taull)壁画を移設
(管理人撮影。カメラマンの腕がわかるのが辛い(^^;)
    ところで、バロック絵画好き美術ド・シロートにとって、ロマネスク美術というのは殆ど未知の世界だった。なにしろ、ロマネスクの定義すら知らなかったのだから(^^;;。ということで、あわてて調べ、わかったこと簡単にまとめてみた。

【ロマネスク美術とは】 「10世紀中頃から、ノルマン人やスラブ人などの第二次蛮族侵入の脅威も除かれ、西ヨーロッパ一帯に秩序が回復した時代。その時、古代ローマ美術、シリア美術、東欧ビザンティン美術、中世初期のカロリング美術などの伝統を踏まえて、各国、各地方でそれぞれの独自性を持った最初の汎ヨーロッパ的な大芸術が生まれたのである。それがロマネスク美術である。」(「スペインの光と影」馬杉宗夫・著)

 しかし、多様とも見える各地方ごとの独自性を持ちながら、ロマネスク美術は共通する美意識(思想)をも併せ持っている。聖アウグスティヌスの言う「美は物質的な塊の中に求めてはいけない」という思想である。すなわち、物質的な塊であるところの自然・人間の外観のなかに宿る美を追求してはけない。かつてのギリシア・ローマ的な写実性に富んだ美意識は否定され、自然界のものを、様式化、図式化表現するようになる。キリスト像も時に象徴的手法で表現されたりもした。

 最近、国立西洋美術館「ヴァチカン美術館展所蔵・古代ローマ彫刻展」を観ながら、キリスト教国教化以降、ローマ的写実が突然稚拙とも思える抽象化への道を辿ったことに驚いた。ロマネスク(=ローマ風)の命名も、「不自然にされたローマ風様式」という意味から来ているという。

 ところが20世紀になって、反古典・反写実主義という近代美術が求めようとしていた方向性と多くの共通点があり、ロマネスク美術は脚光を浴び始めた...。しかるに、中世ロマネスク・ゴシックを経て、古代ギリシア・ローマ的な美意識への復古が提唱されたのがルネサンスだったことを想うと、なかなかに興味深いことでもある。
  


原色の鮮やかさと黒々とした描線の力強さが印象的だ。
画像は青緑に見えるが、キリストは濃青の世界に座している。
   さて、美術館のロマネスク棟の順路を進むとロマネスク特有の彫刻が施された柱頭が並ぶ。更に進むと、教会の内陣を模した半円ドームの壁に描かれたフレスコ大画面が並び、壮観を呈する。その中でもピレネー山麓のボイ渓谷に1123年に建てられたサン・クリメン教会(Sant Climent,Taull)内陣で発見された「栄光のキリスト」はロマネスク壁画の傑作と言われる。右手は祝福のしるし、左手の書物は「我は世の光」と記されている。

 内陣アプシスを再現した壁画の前に立つと、鮮やかな彩色、力強い単純で明快な線と筆致で描かれたキリスト像に圧倒される。深い青衣を纏い、虹円中の青の世界に坐し、その確信に満ちた眼差しはまさに観るものを畏怖させるかのようだ。仰ぎ見ると神の栄光の強い肯定を感じる。戦士として赴く村人たちがこのキリストに加護を祈り、また無事の帰還を感謝するのに相応しく、どこまでも大きな存在としてのキリストなのだと思う。
近年、苦悩し贖罪を負うキリスト像を見慣れた目には、この明快さが心地よく感じる。
 この壁画を描いたのは当時名の通ったフランスから来た絵師だと言う。ひとつの教会での仕事を終えると、また別の教会へ赴く。このキリスト像は絵師の後姿も力強く晴れやかに見送ったに違いない。

 現在、タウルにあるサン・クリメン教会の内陣には、この「栄光のキリスト」の複製壁画が描かれているという。美術の保護は確かに必要だが、しかるべき場所でこそ本物を見たいと思ってしまった(^^;;

  


2004/08/13 UP


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