| ロンドン波瀾万丈記 |
ヒースロー空港には午後1時過ぎの到着だった。ところがバッゲージがなかなか出てこない。待つこと30分以上(^^;。急ぎタクシーでホテルに向ったものの、途中で交通大渋滞に巻き込まれた。細切れの信号待ちにイライラしてしまう。ロンドンでの時間との闘いが始まった。何しろ到着日の午後と翌日2時までという、悲しくも短い滞在予定だ。
予想以上の時間と料金オーバーに焦りながら、ホテルにたどりつくや、その足で即ナショナル・ギャラリーに向った。LNGは約10年ぶりの再訪だ。その間にもロンドンには来ていたのだが…。LNG到着はもう午後3時を過ぎていた。閉館の6時まで一体どのくらい見られるのだろう?!まずは脱兎のごとく北翼ギャラリーに向って走る。
| ◆ロンドン・ナショナル・ギャラリー (London National Gallery) |
◇ エマオの晩餐 ◇
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巡礼者を表わす白い貝のブローチ。この質感にどうしても目が奪われてしまう。このホタテ貝の微妙で美しい線を丹念に描写している画家の息使いが感じられるのだ。この貝をはじめ、この作品における質感を伴った「白」の効果は抜群である。テーブルクロスの清々しい白さ、聖ペテロの腰のサッシュの鮮烈な白さ!そして、何よりもクレオパの驚く右ひじの破けた上着から覗く「白」!観者に向って画面から突き出るような白のハイライト効果を画家は実に巧みに計算している。 |
CARAVAGGIOは傑出した静物画家でもある!
![]() 「果物籠」特別企画 |
CARAVAGGIOはこの作品において、彼の静物画描写の力量を余すことなく示している。ある意味その過剰さは画家の気負いの現われとも思える。 テーブルの上のガラス器と液体(白ワイン?)の質感をまず見て欲しい。光はガラスを透しテーブルにその翳を映す。写実描写のなんとリアルなこと! そして、テーブルの端に置かれた果物籠。痛んだ果物は人類の罪を、石榴は罪に打ち勝つキリストを表わすようだ。が、寓意はともかく、その自然描写の巧みさ! 画家のパトロンであったヴィンセント・ジュスティニアーニ侯は「絵画に関する書簡」においてCARAVAGGIOの基本的な芸術信条に触れている。「彼にとって、優れた花の絵を描くことは、優れた人物画を描くのと同じ能力を要する」と...。 なお、CARAVAGGIOはこの作品以降、静物画を作品中に描き込むことをしていない。 |
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≪エマオの晩餐≫ CARAVAGGIOは5年後の1606年にも同主題の「エマオの晩餐」を描いている。 「エマオの晩餐」を主題にしたいくつかの作品を並列し、それぞれの作風やテーマの扱い方の微妙な違いを観てみたい。自ずとCARAVAGGIOの独自性が明らかになるように思う。人物の上半身で画面を構成するCARAVAGGIO作品が与える臨場感には驚くべきものがある。 ちなみに、あくまでも私の好奇心からの比較で、美術史的な意味合いなど考えていないのですみません(^^;; |
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![]() 「エマオの晩餐」 デューラー 1510年 12.7×9.6cm |
![]() 「エマオの晩餐」 ポントルモ 1525年 230×173cm ウフィツィ美術館 所蔵 |
![]() 「エマオの晩餐」 ヤーコポ・(ダ・ポンテ)・バッサノ 1527年 100.6 x 128.6 cm フォートワース キンベル美術館 所蔵 |
![]() 「エマオの晩餐」 ティツィアーノ(Tetizuiano) 1535年 カンヴァスに油彩 ルーブル美術館 所蔵 |
![]() 「エマオの晩餐」 カラヴァッジォ(Caravaggio) 1606年 カンヴァスに油彩 141x175cm ミラノ ブレラ美術館 所蔵 |
![]() 「エマオの晩餐」 レンブラント(Rembrant) 1648年 板 油彩 68X65cm ルーブル美術館 所蔵 |
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| キリストはパンを祝福し、今気がついた弟子たち。画面左の弟子(クレオパ?)は身をのけぞらせながら、右の弟子(ペテロ?)は椅子から腰を浮かせながら驚いている。CARAVAGGIOの弟子たちのリアクションと反対のポーズだ(^^;。 もしかしてこの作品を知っていた画家が意図的に...ということもありうる...かな?(^^;; まぁ、キリストがなにやら静かな表情なのは同じだけれど...。画面左の宿屋の主人と少年が「この男は何に驚いているのだろう?」とでも言いたげにしているところが面白い(^^;; 構図的にはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の影響が見られるように感じる。キリストを中心とした遠近法と、円柱後ろの風景が画面に奥行きと広がりを見せている。 CARAVAGGIOはミラノ時代、「ティツィアーノの弟子」と署名していたシモーネ・ペトロツァーノの元で徒弟として修行していた。画家はティツィアーノの影響を受けていたと思われる。。 |
「カラヴァッジョ展」鑑賞記で触れたように、キリストの前のパンは既に割かれている。弟子たちがキリストであることに気が付き、驚いたその後の一瞬を描いた作品だと思われる。この後キリストは姿を消すことになるのだが...。 1601年作品の表現の過剰さとは異質の心理劇を思わせる深みのある作品となっている。 「カラヴァッジョ作品のうちでもっともレンブラントのヴィジョンを予告する」(Gregori 1985) |
今、キリストは祝福したパンを割いており、弟子たちは「まさか?」というように、キリストではないかと気が付きき始めたところだ。弟子たちの微妙な心理の動きが自然に感じられる。キリストの開いた口元は、左の弟子に話しかけているのだろう。ここにはLNGのCARAVAGGIO作品のような劇的な驚愕は無い。さりげない晩餐のテーブルで起こった驚きの心理劇が描かれているのだ。 聖なる光はパンを割くキリストの手元を照らす。背景のニッチはまるで教会内の彫刻のようにキリストをニンブスで浮かびあがらせている(^^;。 画面から漂う静けさ、そして光と闇は、ブレラ美術館のCARAVAGGIO作品を連想させるものがある。レンブラントは間接的にであろうとも、CARAVAGGIOの影響を受けていたと思う。 |
ゲストのバリサケオさんから「エマオの晩餐」を観ての、素晴らしい「光の考察」Reportの特別寄稿をいただきました。掲載をご了承いただきありがとうございました!
2002/08/25 UP