特別おまけ企画

― ダブリン国立美術館 超!私的鑑賞記 ―


ダブリン国立美術館で気に入った作品についての超私的で勝手な感想です(^^;




Hendrick ter Brugghen
「The Crucifixion
with Virgin and St.John」
1625年
   ダブリン国立美術館1階は近代絵画とアイルランド・英国絵画の展示になっている。丁度、NYメトロポリタン美術館からの特別展示で、ヘンドリック・テル・ブリュッヘン(Hendrick ter Brugghen,1588-1629) の「The Crucifixion with Virgin and St.John」が一番奥に展示されていた。多分これは、ちょうど同時期METOで開催の「ジェンティレスキ親娘展」への、オラッツィオ・ジェンティレスキ「ダヴィデとゴリアテ」貸出しによる交換展示だと推測される。だってダブリンには見えなかったのだ(^^;
 星空を背に十字架に架けられたキリスト。左に悲嘆の聖母、右に福音書記者聖ヨハネ。血の気の無いキリストと蒼白の聖母。ところがテル・ブリュッヘンは聖ヨハネを血色良く描いており(そう見える)、聖母を託された彼が現世的な立場で、この物語を語り継いで行くのだとでも言っているかのように思われる。
 ゴルゴダの丘の地平線に残光が広がり、その上にはシュールな星空が広がっている。この画像では良く見えないが、小さな丸い星が点描されており、それがなんとも幻想的で心惹かれる絵だ。リキテンシュタインの点描をつい想起していまったのは何故だろう...。
 テル・ブリュッヘンはオランダにおけるカラヴァジオ派でもある。 





Martin Schongauer
「エジプトへの逃避」
    2階には企画展示室があり、スペインのセルバンテス協会企画展「European Masters of Printmaking ; from Durer to Goya」が開催されていて、ゲストの加藤さんが喜びそうな多数の版画が展示されていた。噂のマルチン・ションガウアー(Martin Scongauer,1450?-91)の銅版画を初めて観ることもできた。ションガウアーの真作認定は難しいらしいが、確かに作品下部にMSの文字が見える。ADのように(笑)。
 ここでの展示作品は「エジプトへの逃避」だ。デューラーにも影響を与えたというその作風を観察するために、ガラス越しにしみじみと眺めてしまう。ベルリンで観た油彩画「キリストの降誕」も緻密な描写が印象的であったが、銅版画も同じだ。ヨゼフを助ける樹木の上にいる天使までもが小さく細かく描かれ、一体何人の天使がいるのだ?と数えてしまった。ちなみに5人もいた(笑)。細部はリアルに写実的であるのだが、不思議な異国情緒に満ち、幻想的でさえある。
 ここで観られる馬(驢馬?)に乗る聖母子の表情、樹木から果実を採ろうとするヨセフは旅の困難さを象徴しているようだ。地面を這う蜥蜴、森に住む鹿の姿は秘密めいており、更に心細さを強調するかのようだ。が、これは何かを象徴しているのだろうか??(^^;
 小さな銅版画の世界に身を寄せながら、北方コルマールの住人でありながら、エジプトの地を想像するショーンガウアーの超リアルな幻想を共有できたような気がした(^^;; 




Tiziano Vecellio
「Ecce Homo」
1558-60年頃
カンヴァスに油彩 73.4X56cm
   3階には古典絵画が並ぶ。さすが国立美術館だけあり所蔵作品の充実に驚かされた。ということで、イタリアはベネチア出身の巨匠ティツィアーノ(Tiziano Vecellio,1485-1576)作品もさりげに展示されていた。
 この「エッケ ホモ」を観た時、正直に言うと、ティツィアーノにしては暗いと思っってしまった(^^;;(ティツィアーノ好きの皆様、すみませぬ)。それは、老獪な肖像画家だというイメージが強過ぎたためであった。ゲストの乱さんから、彼の描くキリストは苦悩するキリストだと教えていただき、なるほど!と気がついた。暗さではなく苦悩であり祈りであると。
 画家の精神性の深さが俯いたキリストの眉間に闇に滲む。荊冠のキリストは傷つき、血を流し、腕には縄目の跡も痛々しい。人間の贖罪のために苦悩し祈るキリスト。深い闇にキリストの頭部を浮き上がらせる光輝がその崇高さを高める。あの老獪なティツィアーノもやはり敬虔なキリスト者であった…。画家の厚い信仰心と深い想いが現れている作品だ。
 しかし、このキリスト像の逞しい身体描写に縄目などを見て、サドっ気マゾっ気があるんじゃないか?と思ってしまう私は不埒な異教徒だ(^^;;;。すみませんです。




Johanes Vermeer
「Woman writing a letter,
with her Maid」
1670年頃
カンヴァスに油彩 71.1X60.5cm
             このフェルメール(Johanes Vermeer,1632-75)「手紙を書く女と召し使い」の前に立った時、思いがけず失望感に襲われた。先に観ていたベルリンの「真珠の首飾り」「ワインとグラス」の緻密な描写が後退し、簡略化されたような、ブロック毎に色合いの変わる筆触が観られたからだ。以前の描点は滴るような絵の具の描班面となってしまった。
 窓から注ぐ陽光は装飾窓を透して手紙を書く女性に明るく強い陽射しとして注ぐ。カーテンを透した陽光は柔らかく室内に広がる。光の扱い方はやはり素晴らしく唸ってしまう。特に手紙を書く女性の白い帽子と衣装は的確な色彩により陽光の強さを反映している。しかし、その衣装の白の階調は分断され、以前の質感の緻密さは見られない、。テーブルクロスの気合の入らない描写、大理石であろうタイルの簡略化としか思えない描写。かなり違和感を抱いてしまう。白いブラウスなど、キュービズムの前兆か?とも驚いた。この画家の晩年にかけての作風は、まるでイリュージョンを壊して行くように思える。
 しかし、フェルメールの静かな室内の謎めいた雰囲気の独自さはそのままではある。床に落ちているクシャクシャの手紙から、つい物語を紡いでしまいそうになる(^^;。窓の外を眺める召使の意味ありげな微笑みを見るにつけても、だ。
 今回訪れた各都市の美術館にはフェルメール作品が多く、一挙に10作品を観ることになり、作風の移ろいを直に感じる事ができたような気がした。




Gabriel Metsu
「Woman Readinging a Letter」
1663年頃
パネルに油彩 50.2X40.2cm

         

Gabriel Metsu
「Man Writing a Letter」
1663年頃 
パネルに油彩 52.5X40.2cm


 今度の旅行では多くのオランダ絵画を観たのだが、手紙を書いたり読んだりする場面も少なくなかった。そのなかでも、「手紙を書く女と召使」の隣に展示されていたハブリエル・メツゥ(Gabriel Metsu,1629-67)の「手紙を書く男」と「手紙を読む女」はメロドラマチックであり、オランダ絵画らしい緻密な描写にも冴え、こちらの方が面白くもあった。
 2枚の絵の呼応する様は観るものを大いに楽しませもするし、寓意の警告により心配もさせる。手紙を書く男は服装から都市に住む裕福な市民であり、手紙を読む女は髪型から既婚の女性だ。男は熱い想いを手紙に託す。女は裁縫の指貫を放りだし夢中で手紙を読んでいる。足元のサンダルは色っぽさを表わし、女の背後の鏡は虚栄の警告となる。召使はキューピッド代わりなのか、別の手紙も持っている。召使がカーテンをめくっている嵐の海の絵は、恋人達の出遭いと別れの危険、そして恋の試練を表わす。う〜む、実に面白そうな恋愛模様だ(^^;
 この時代のオランダは教育水準の高さでは欧州一とのことで、手紙が伝達手段として浸透していたことが窺える。レンブラントのバテシバだって手紙を読んでいるくらいだから(^^;;。まぁ、昔の恋人たちがお互いの想いを伝えるにはやっぱり手紙だったのだよね。長髪!(^^)の青年は想いを込めて手紙を書き、やや首を傾げて手紙を読む人妻の姿には恋愛(不倫?)の不安が滲む(^^;;。このふたりの恋の行方は果たしてどうなったのだろう?

 



Jacob Isaacksz,van Ruisdael
「The Castele of Bentheim」
1653年
カンヴァスに油彩 110.5X144cm
   このライスダール作品の持つ強力なエネルギーは一体何なのだろう?実物の放つ新鮮な気迫が画像では伝わらないのが残念だ。
 オランダ風景画を代表するヤコブ・ファン・ライスダール(Jacov Issackz.van Ruisdael,1628-82)が描いたBentheim城の風景だ。実際の城はもっと低い丘に建っているらしいが、ライスダールは風格のある山城として描いている。空と雲、城の麓の前景と遠く望む山々の遠景とが見事に調和して、渾然とした自然の気迫に満ちた作品となっている。
 前景の岩肌の茂みには白い小さな花々が溌刺とした生命力を見せ咲き誇る。城へ続く緑なす木々と家々の調和、麓の沼(池)に横たわる切られた樹と老木の孤独。ライスダールは画面に奥行きと広がりを与えながら、自然を構成して行く。その強い意思が画面に生き生きとした鮮やかな色調を与えているのだろうか。私には風景画で感動できたこと自体も新鮮だった。


2002/06/23 UP

戻る            Reportに戻る