REPORT
 2002年 ダブリン・ロンドン・アムステルダム 波瀾万丈記 ―


 この時期、アムステルダムのゴッホ美術館では「ひまわり」3枚並びが展示されていた。多分、このような機会はもう無いだろうと思い、急遽欧州行きを決めた。欲張りなので、CARAVAGGIO鑑賞も当然抱き合わせだ(^^;。一番観たい作品はダブリンの『キリストの捕縛』である。ダブリン・アムステルダム...中間にはCARAVAGGIO作品3枚のあるロンドンがあるではないか(笑)。ということで、3都市を1週間で巡る駆足旅行企画となった。相変わらずのタイトな日程で、それはそれは波瀾万丈の日々となった(^^;;。


ダブリン 波瀾万丈記

 夜、ダブリン空港に到着するが、バッゲージが1便遅れて到着予定であることが判明(+_+)。航空会社がホテルに届けてくれるという話で、とりあえずタクシーでホテルに向う。夜の9時近くだというのに夕方6時ぐらいのような明るさだ。緯度が高く、夏も近づいているためなのだろう。
 本当はホテルに着いたら、さっぱりと着替え、パブでギネスでも飲もうと思っていたのに…。なんとか手荷物でやりくりして翌朝を迎えた。朝7時にバッゲージが無事到着。ようやく人心地で、ほーっ(^_^;)。

 ダブリン見物に費やす時間は丸1日しかない。ダブリンはイタリアと違い、美術館等は殆ど年中無休で開館していて、旅行者には実にありがたい。事前に絞ったのが、CARAVAGGIO『キリストの捕縛』の「ダブリン国立美術館」、『ケルズの書』の「トリニティ・カレッジ」、そしてアイルランド最大の教会「聖パトリック大聖堂」。地図で見ると3箇所は近くにあり、歩いて廻れる距離のようだ。美術館の開館が午前10時、カレッジ図書館が午前9時30分。ということで、『ケルズの書』から観ることにした。
 

トリニティ・カレッジTrinity College) ◇
 


日本語(!)ガイド
   1592年、エリザベス1世の勅令によって設立された、アイルランドで一番古く由緒ある大学である。オーコンネル・ストリートからグラフトン・ストリートに通じる西側の建物入口から構内に入った。玄関通路の中には連絡や告知のビラが貼ってあり、現役の大学であることを窺わせる。玄関を通りぬけると美しく整ったキャンパスが広がる。中央に鐘塔がそびえている。玄関から出た左脇に学内案内の看板があり、"The Old Liberally" を探す。キャンパス右に見える長い建物が旧図書館「オールド・ライブラリー」だ。その1階特別展示室にアイルランドの至宝『ケルズの書』は展示されている。入口は裏側で、ショップのある南側になっている。日本語ガイドも用意されているのが嬉しい。訪れる日本人観光客が多いのだろうか?
 なぜか私はケルト美術史家の鶴岡真弓氏のファンだ(^^;。NHK教育TVの番組をやっていた頃、友人たちとの間で「渦巻です」が流行った。その鶴岡氏が留学時代、違った頁を観るために毎日のように通ったという『ケルズの書』だ。
 『ケルズの書』はラテン語で4つの福音書を描き表したもので、9世紀初期の頃に、アイオーナ島の修道士達によって完成されたものだろうと言われている。一部はケルズ地方で制作したものだとも言われる。その華麗で独特のケルト渦巻文様の装飾頁が実に素晴らしい。私が訪れた日はP254-P255「ルカによる福音書 16-22〜17-1」が開かれていた。文字自体(アンシャル文字)も、アルファベットの最後の筆先に矢印や小さな花模様が細かく渦の流れのように描き込まれている。「書」くのではなく、将に「描」いていることに驚嘆する。
 特別展示室には当時の製本過程を映し出すビデオ画面が設置してあり、製本職人による実制作過程の様子を興味深く見入ってしまった。ちなみに『ケルズの書』は羊皮紙ではなくベラム紙(牛皮素材)に描かれている。また、当時の本を入れた古色然とした皮製専用ショルダー・バッグも展示されており、あの時代の本の貴重さに改めて想いをめぐらせた。
 展示室奥から階段を上がって2階へと出ると、そこはかつての主要図書室「ロングルーム」になっている。その名が示すように細長い木造図書館で、両脇の2階造り梯子の掛けてある本棚に、古い蔵書20万冊ほどがビッシリと並んでいて壮観だ。本棚も天井の木目の古色もその伝統と由緒を物語っているようだ。背筋を正したくなるような雰囲気が漂っている。かつて、このトリニティ・カレッジで学んだ有名人・文化人は多い。今でこそロープで立ち入り禁止になっているが、当時の学生たちは開架式のこの本棚から、探し出した重い本を開き、勉学に勤しんだのだろう。


ダブリン(アイルランド)国立美術館The National Gallery of Ireland) ◇

 トリニティカレッジから歩いて5分ぐらい、緑が美しいメリオン・スクエアーの向いに、「ダブリン国立美術館」はその趣のある佇まいを見せていた。正面からみるとこじんまりしているように見えたのだが…そんな甘いもんじゃなかった(笑)。アイルランド出身者からの寄贈もあるらしく、予想外の充実した内容に驚いた。嬉しいことに入場は無料である(^^)v。入口案内で貰える展示案内図をよく見ないと、作品の展示室がわかり難いので注意が必要だ。

  まずは、この美術館の宝であり、私の第一の目的であるCARAVAGGIO作『キリストの捕縛』の展示室を目指す。3階一番奥の突き当たりの部屋だ。1602年、CARAVAGGIOがローマにおいて、当時パトロンであったチリアコ・マッティのために描いた作品である。オデッサにあるコピー作品等によって存在は知られてはいたが、真作は長い間行方不明となっていた。ところが驚くべきことに、1990年8月、ダブリンの 35 Lower Leeson Street のアイルランド・イエズス教会で、なんと埃塗れで発見されたのだ!! 1602年にCARAVAGGIOがローマにおいて描いた絵が、1990年 如何なる経緯でダブリンで発見されたのか?美術マニアでなくとも興味は尽きない。美術館ショップで購入した『CARAVAGGIO―The Master Revealed』(Sergio Benedetti ; The National Gallery of Ireland )から、ようやくその経緯と、この作品の辿った数奇な運命を知ることができた。鑑賞記の後に『キリストの捕縛』発見までの経緯も付記したい。


(クリックで大画像)
「キリストの捕縛」
1602年
カンヴァスに油彩 133.5X169.5cm
   この作品の写真を見た時、これは真作だなと一目でわかったほど、CARAVAGGIOの最盛期の輝きに満ちた絵だ。実物の目の前に立つと、劇的で迫力に満ちた画面構成と息詰まるような緊迫感に圧倒される。捕縛劇の一瞬の場面ではあるが、登場人物たちの表情、身振りに、動きの連続性を感じるのだ。キリストの諦念と哀しみが光と闇の中に浮かびあがる。
 ここでのキリストは「ヨハネによる福音書」のキリスト像であろう。画家はキリストの自分の身に起ころうとすることを知り尽くしたあきらめを、その表情とともに両手の組んだ指により物語る。ユダは合図の接吻のためにキリストを掻き抱き、捕縛の手引きを行う。ユダの尋常ではない必死の眼差し(瞳孔が怖い(^^;)は、裏切りの後ろめたさの発露だ。キリストをがっしりと抱く手の硬さ。諦念のキリストの眉間に漂う哀しみは観る者の心を打つ。もうひとりの左の弟子と思われる若者は驚き慌て、両腕を高く挙げながら逃げ出そうとしている。「マルコによる福音書」とは違って、たなびくのは亜麻布ではなくマントだと想うのだが...(^^;

 この濃密で複雑な想いの交錯する緊迫した捕縛劇に注ぐ光は、兵士たちの甲冑を冷たく映し出す月光と、キリストを照らし出そうとする男の持つカンテラだ。驚く事にその男はどう見てもCARAVAGGIOの自画像である。キリストを照らすカンテラと同じ光に照らしだされた画家自身の意中を想う。
 
 この作品のCARAVAGGIOらしい群像の画面構成は、左右の群像を繋ぐ一番手前兵士の甲冑肩の反射光を中心としているように思われる。そこには画家の白絵具による刷毛で掃いたような巧みな筆さばきが見られ、硬質な冷たい輝きをに描写している。静物画における自然描写の粋を極めた画家の息使いをゾクゾクするほど感じてしまった!更に唸ったのは構図における色彩配置だ。光の白と並んで効果をあげているのは衣装における朱・橙の色使いの見事さ。左端の弟子のマント、ユダの衣装、手前兵士のズボンへの流れと、カンテラを持つ男の奥に隠れるように見える兵士の兜下の朱(この効果は凄い)から、ユダ、キリスト、弟子の衣装への流れが交錯する。特に手前兵士の黄金の輝きを縁取りにした朱のズボンの絹が月光に映しだされた質感描写。微妙な腰の曲線を包み込むその皺描写までもがなまめかしいのだ(^^;

 ここでの登場人物たちの感情表現を盛り上げているのは、登場人物たちの手による表現だと思う。ロンドンの『エマオの晩餐』(1601年)の手の短縮法による迫力ある表現から引き続いているように思える。宮下規久朗氏が『カラヴァッジオの身振り―表出から象徴へ』で引用しているが、アンドレ・シャステルは「カラヴァッジェスキの独自性は手の緊張の効果に集中したこと」だと言う。思うに、キリストの指を組んで反り返した手の表現は、まさに「あきらめ」の身振りであり、ユダの眼差しと強硬な抱懐は、強くしがみつく手の表現により効果をあげている。ちなみに、キリストの指はほっそりと繊細で、ユダの手は指も太く、画家はしっかりと描き分けている(^^;。
 左端の若者の両手を挙げた身振りについて、セルジオ・ベネデッティはモレット(ロベルト・ロンギは「ロンバルディアのプレ・カラヴァッジオ」と名指した)の『聖ピエトロ・マルティラの死』からの影響を観ている。一方私は「聖マタイの殉教」の逃げる少年を想起するとともに、この弟子の人物描写に『イサクの犠牲』やドーリア・パンフィーリ所蔵作品の一連の登場人物の流れを感じた。ついでに思うのだが、驚愕の身振りは天に祈る(オラッツィオ型)身振りに似てはいないだろうか?Oh!My God!(^^;;

 画家がこの作品にも自画像を描き入れていたのに気が付き、想わず微笑してしまったのだが、画家の表情にはカンテラで照らし出しつつも、好奇心から捕縛劇を覗きこんでいるような雰囲気が感じられる。ロンギはその論文の中で、CARAVAGGIOの宗教画において、鑑賞者である一般民衆と宗教場面を繋ぐ媒介的人物を絵のなかに観ている。例えば『エマオの晩餐』に立ち会う宿屋の主人のように。ここでの画家は、兵士とともに捕縛に加わりながらも、一般民衆と同じように劇的場面に立ち会う不思議な媒介的役割を担っているのではないか??キリストを照らし出すカンテラは、同じ光で悲劇を覗き込む物見高い民衆を象徴しているかのような画家自身の顔までも照らし出している。CARAVAGGIOの大いなる皮肉を感じるのだが....。

 キリストの捕縛劇はそれぞれの登場人物たちの想いを孕みながら、夜の帳の中で月光に浮かび、そして闇に沈む。ユダによるキリストへの裏切りの接吻と逃げ出す若者。キリストを追い詰め捕縛する兵士たち。この画面を2分する群像は横に腕を伸ばしキリストを押さえようとする手前兵士の甲冑の冷光により収束される。そして、絵の前の私自身もその映る月光を浴びながら、この捕縛劇に立ち会うかのように収束されるのである。   


   

 尚、画家がこの作品のモチーフの参考にしただろうと想われる作品がある。アルブレヒト・デユーラーの木版画「小受難物語」から『キリストの捕縛』(1509年)である。 
 ここでの主題はもちろんユダによるキリストへの接吻、そしてその合図によるキリストの捕縛である。「ヨハネによる福音書」の記述を忠実に、シモン・ペテロによる耳切りの場面も描かれている。デューラーは「大受難物語」(1508年)でも同主題を描いているが、CARAVAGGIOの画面構成は、やはりこの「小受難物語」の影響に負うものだろう。

 私はベルリン国立絵画館の『ホルツシューアー像』を観て以来、すっかりデューラー好きになってしまった。このCARAVAGGIOに与えた影響はなかなかに嬉しいものがあった。

2002/05/26 更新

【追記】 帰国してから、ロベルト・ロンギの『芸術論叢』を読んだ。ゲストのmakoさまから教えていただいた本だ。本当は出かける前に読みたかったのだが….。下巻に、この『キリストの捕縛』のコピー作品についての記述があった。

 ロンギの《ルーアンのカラヴァッジョ原作とカラヴァッジョ作品におけるコピーの問題》によると、カンテラを持っている自画像に隠れた意味があるとするなら、「まさしく作品に『光を与える』画家だ、という程度のものであっただろう」とする。さすがに、なるほど、と納得する解釈だ。キアロスクーロにおける画家の自意識の現れと考えられよう。
 が、しかし、CARAVAGGIOという画家はそんなに単純だろうか?『聖マタイの殉教』における画家は、事件に関わり目撃しながらも逃げ去る自画像を描いている。この『キリストの捕縛』での画家のカンテラ越しに覗く眼差しを見ると、やはりその場面の「目撃者」である。私には、画家がその居合わせた現場を描いているのだという、自らに「目撃者」の役割を課しているように思えるのだが...。


《 『キリストの捕縛』発見経緯 》

 1990年8月、ダブリン国立美術館は市内のイエズス会教会からの所蔵絵画の調査依頼に、館員のベンデッティ達を派遣した。ベンデッティはLower Leeson Streetにあるそのイエズス会コミュニティ教会で、埃をかぶった1枚の絵を見て驚愕する。それは将に行方不明になっていたCARAVAGIO「キリストの捕縛」の 真作ではないか?!!
 オデッサ等にある複数のコピー作品により、『キリストの捕縛』は以前からその存在を知られていたが、真作は行方不明のままとなっていた。まさかダブリンで発見されるとは誰も考えてはいなかったにちがいない。真作と確定し公開されるまでに3年もの時を要しているのだ。かなり綿密な裏付調査による真作鑑定があったと推測される。

 1601年、デル・モンテ枢機卿の館を出たCARAVAGGIOは、同じローマ市内にある有力貴族であるマッティ家の館に庇護されることになった。マッティ家の長男はチリアコ・マッティ、次男がジローラモ・マッティ枢機卿、三男がアズドラブルの三兄弟だ。 マッティ家兄弟からの注文によりCARAVAGGIOが描いた作品は4点である。いずれも、筆力と気力の充実している傑作ばかりだ。
  ・ 「エマオの晩餐」(1601年)   ロンドン ・ ナショナルギャラリー 所蔵
  ・ 「洗礼者聖ヨハネ」(1602年 )  ローマ ・ カピトリーニ美術館 所蔵
                      (1623・24年のマッティ遺言でデル・モンテ枢機卿に譲渡)
  ・ 「キリストの捕縛」(1602年)   ダブリン ・ アイルランド国立美術館 所蔵
  ・ 「聖セバスチアヌス」(1603年頃?) (コピー?)ローマ ・ 個人蔵
 
 18世紀ともなると、欧州諸国の王権の強化とともにローマ法王庁の権力もローマ自体も衰退を見せて行く。この頃、英国ではグランツーリズムが流行し、ローマには多くの英国人が訪れるようになった。そのうち、ローマの美術巡りツァーの専門ガイドまでが出現!目利きの美術ガイドは有力貴族のコレクションにも精通し、美術愛好家の観光客と貧窮する貴族の美術品売買の仲介までするようになる。ローマからの美術品流出が増加する。
 決定的だったのは1798年のナポレオン軍によるローマ征服だ。ナポレオンによるルーブル美術館設立構想を持ってローマに進駐した軍は、法王庁からめぼしい美術品をごっそり持ち去った(^^;。ローマにとってはカルロス5世による「サッコ・ディ・ローマ」以来の略奪だと言える。しかし、有力貴族の所蔵美術品は更に時間をかけ、綿密な計略の基に行われる。ローマ貴族への高税率賦課という形で、だ!CARAVAGGIOコレクションで有名なジュスティニアーニ侯爵家さえも、重税ためにコレクションを手放す(参照:ベルリン奮闘記)。同じようにマッティ家も窮地に追い込まれた。

 さて、このマッティ家だが、18世紀末までに幾度か家財産目録の書替えを行っている。ところが、この『キリストの捕縛』は 何と目録にも額縁にも「夜のゲラルド」ことヘリット・ファン・ホントホルスト作品と誤記されていたのだ!!確かにホントホルストはCARAVAGGIOの影響を受けた画家ではあるが、作品を観れば違いがわかるはずなのだが(~_~;)。この時代CARAVAGGIOは忘れられた画家となっていたいたようだ…。

 1790年代にスコットランド人のWilliam Hamilton NisbetがStentonにある母方のBiel Houseを相続した。当時議員だったNisbetは何度かローマを訪れ、イタリア美術にも触れていた。1802年、ローマを訪れたNisbetはこの機会に館を飾る美術品を調達しようと、当時ローマで有力な美術家Carlo Labrizziの会社に仲介を依頼する。マッティ家の所蔵美術品にも精通していたLabrizziはその依頼に応え、マッティ家に残っていた5枚の作品の売買契約を仲介成立させる。その中の1枚が「夜のゲラルド」ホントホルスト作(!)の『キリストの捕縛』だった。『キリストの捕縛』を含む絵画はナポレオン軍の目を盗むかのように慌しくスコットランドに送られた。Biel Houseを飾るこの作品の額にも「GARARD HONTHOST(GHERARDO DELLA NOTTE(I))」の文字が記されたのだった。
 1921年にNisbet家直系が絶えると、その所蔵美術品もエジンバラのDawell'sに買い取られる。そして、その後『キリストの捕縛』はダブリンの小児科医のMarie Lea-Wilsonが購入するが、彼女の夫の不幸な死により、1930年代初頭にダブリンのイエズス会聖イグナチウス教会の神父に献納された。「夜のゲラルド」ホントホルストの作品として…。

 1990年、ダブリンの国立美術館のベンデッティたちが Lower Leeson Street 35番地を訪れる。そして、このイエズス会教会の絵画調査のなかで、埃をかぶり忘れ去られていた1枚の絵が真実の姿を現すことになったのだ。私がダブリン国立美術館で『キリストの捕縛』を真近に観た時、キャンバスの端には切り取られたような跡が見らた。この作品の辿った不思議な旅の軌跡を見るような気がした...。

 CARAVAGGIOの再評価に尽力したロベルト・ロンギはこの真作を知らず1970年に逝った。ふと思う。ロンギがこの作品を観たらどのように言及しただろうか?と。


《 ダブリンのカラヴァッジェスキ作品 》

 『キリストの捕縛』の展示室にはカラヴァッジェスキ作品が並んでいる。特に印象的だった作品を紹介したい。



ルティリオ・マネッティ
Rutilio Manetti
「Victorious Love」
1623年頃
カンヴァスに油彩 178X122cm
     
     


CARAVAGGIO
「勝ち誇るアモール」
1601-02年頃
カンヴァスに油彩 156x113cm


(ベルリン国立絵画館所蔵)

 CARAVAGGIOの「勝ち誇るアモール」が当時の画壇に大きな影響と波紋を与えたことが良くわかる。「ベルリン奮闘記」でも触れたようにバリオーネも触発されて(反発して?)『地上の愛と天上の愛』を描いたが、またこのシエナの画家マネッティも『勝利のアモール(A Victorious Love)』を描いているのだ。
 2001年東京での「シエナ美術展」でシエナ派へのCARAVAGGIOの影響を観てきたが、その中にマネッティの作品もあった。こうしてCARAVAGGIO作品と並べて見るとその影響が色濃く出ているような気がする。構図といい道道具立てと言い、思わず微笑んでしまうではないか(^^;。さすがに丹念に描かれ、白銀に輝く鎧には画家の力量も窺える。CARAVAGGIO作品と違うところは、画家の職業を暗示するような彫刻の足やパレットという小道具も見られる点で、マネッティの画家としての主張が現れているようにも思われる。
 しかし、比較するのは邪道かもしれないが、CARAVAGGIOを偏愛する者としては、やはり右のアモールの魅力には誰も勝てないと思うのだ(^^;;;。
 



ヘリット・ファン・ホントホルスト
Gerrit van Honthorst
「A Musical Party」
1616-1618年頃
カンヴァスに油彩 131.5X182cm

   オランダのユトレヒト派カラヴァッジェスキであるへリット・ファン・ホントホルストの作品である。「夜のゲラルド」と呼ばれるように、光と闇のコントラストを強調した描写にCARAVAGGIOの強い影響を観ることができる。
 楽譜の手前にある光源である蝋燭の光の間接的な照明効果が、この密やかな夜の合奏会の雰囲気を盛り立てている。リュートの演奏にのせて歌っているが、テーブル手前にはスパニッシュ・ギターの影が浮かび上がる。オランダ絵画に良く見られる合奏音楽会の場面を描いているのだが、しかし、中央の男性が女性に回す手のなんとなく意味深なこと(^^;;。この女性の胸あたりが妙に気になって目が離せない(笑)。確かに和気藹々と歌っているのだろうが...。
 驚いた事には、作品横の説明文によると、この作品は元々はデル・モンテ枢機卿のところにあり、何とCARAVAGGIOの「リュート奏者」の隣に展示されていたそーだ!う〜ん、深い縁だこと(^^;。なにしろ、先に記したように、CARAVAGGIOの『キリストの捕縛』はこのホントホルスト作品として誤記されたまま、ダブリンで長い間眠っていたのだから...。

 ダブリン国立美術館にはCARAVAGGIO作品の他にも多くの名作が展示されている。後日「超私的鑑賞記」をUPしたいと思っている。なにしろ、テッツィアーノもレンブラントもフェルメールもあるのだ!(笑)。そのうえ、特別展示で「ヨーロッパ版画展」も開催されていた。展示作品の予想以上の質と量に圧倒され、予定時間をかなりオーバーして、腹ペコふらふら状態で美術館を出た。またしても昼食を取ることさえ忘れていたのだ(^^;

 食事のために一旦ホテルに戻り、さぁ、また出かけるぞ!となった時にはもう午後5時半を過ぎていた。次は「聖パトリック大聖堂」だとタクシーを飛ばしたのだが...。なんと閉館時間が午後6時だというので入場を断られてしまった。まだ閉館まで5分もあるのに!大聖堂の店じまいの様子を見て、ちゃっかり中に入り込み、その美しいステンドグラスを観た(笑)。たった5分間だけの見学となってしまい本当に残念だったが、急いで行った価値はあったと思う(^^;

 実はデジカメを使って写真を撮ったのだが、カードが壊れて読み込みができなくなった(T_T)。この「聖パトリック大聖堂」や「クライスト・チャーチ」など、ダブリンでの画像紹介できず残念!カードを替えたアムステルダム後半だけは何とか画像紹介ができそうだが、どうなることやら(^^;;;

 聖パトリック大聖堂からの帰り道、テンプル・バーを通った。ちょうど近くで野外コンサートが開かれていたようで、若者で賑わっていた。この通りにはU2のボノ達が経営するお店(ホテル?)まであるらしいのだ(笑)。ダブリンは私にとって、U2の街でもある。リフィ川河口で撮影された「魂の叫び」のビデオ映像が思い出される。リフィ川に沿って歩きながら、私の耳にはボノではなくエッジの歌声が流れていた。

 バッゲージのダブリン到着遅れから始まったこの旅は波乱の日々を暗示していた。とにかく、ダブリンでは念願の『キリストの捕縛』を観たことと、本場でギネス(適度で生ぬるくない(笑))を飲んだことで良しとしなければならないだろう。やれやれ(^^;;;。翌日午前中にはリフィ川の流れるダブリンの街を離れ、ロンドンへと向った。

2002/06/16 UP

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