REPORT
 2001年 ナポリ・ローマ・ベルリン 奮闘記 3 ―

◆ベルリン奮闘記

 ベルリンのテーゲル空港は意外に規模が小さく、国際空港というよりはローカル空港に近い雰囲気だ。ゲートを出ると異様な雰囲気が...。迷彩色の軍服を着た兵士達の一団が一角を占拠しているのだ!時が時だけに緊張してしまう。それでも目はドイツ軍の兵士達を追い、「少佐」はいないかと捜してしまう(^^;。そう言えば、元HELLOWEEN・ 現GAMMA RAY のKai Hansen も徴兵で軍隊に入ったことがあるらしい。ドイツでは現在も徴兵制度が生きている。
 ミラノ乗り継ぎだったため、空港の外に出るとあたりはすっかり夕闇に包まれていた。タクシーでクーダム通りのホテルに向かう。今回の旅行で一番の高級ホテルだ。ベルリンはホテル・リストに2つのホテルしか載っておらず、殆ど選択の余地が無かった。まぁ、ベルリンは初めてだし、それに日本人には危険かもしれないのかな?ホテルではドアマンがにこやかに迎えてくれた。

◇◇◇ ベルリン国立絵画館 ◇◇◇



「ベルリン国立絵画館」の
しおり

絵画館一押しの美女(^^)
    翌日は何といっても「ベルリン国立絵画館」だ。いつもは朝に弱いのだが、海外に出た時だけ時差ボケで早起きできる(笑)。ということで、10時の開館5分前には到着していた(ちっとも早くないか?)。外は霧雨で、広いファサードの階段状の石畳もすっかり濡れている。ここは、1998年に東西ドイツの美術館が統合してできたものだ。旧ダーレム美術館のコレクションをこの絵画館は継承している。
 入り口のドアが開くと同時に入場。一旦絵画館内部に入場したが 、念のためということでミュージアム・ショップで図録を先に買う事にした。でも紹介絵画数がたったの50枚ですって!(おいおい、少なすぎるぞぉ〜)。とにかく図録を抱えて広い絵画館内にもう一度戻った。入り口を入ると広いホールが有り 、その周りをぐるりと展示室が囲んでいる。広いホールの壁に沿ってベンチが据え付けられている。ここで一休みできるな、とチェック。とにかく明るくモダンな美術館だ。

 ベルリン国立美術館の所蔵作品は正直凄い。オールド・マスター中心の展示だが、その質の高さと展示数を誇っている。ゴシックからロココまで...。デューラーを始めとするドイツ絵画は勿論、北方絵画、そしてルネサンス・バロックのイタリア絵画、フランス・イギリスのバロック・ロココ絵画等の粋が収集されている。溜息がでるような作品の数々に目を見張り、真近で観られる喜びに浸った。絵画館内をほぼ観尽くし終わるのに6時間もかかってしまった。圧倒され過ぎて、昼食を取るのも忘れていた。美術館に対しての感動は久しぶりだ。
 この奮闘記はCARAVAGGIO作品を中心とするものだが、番外篇として超個人的「ベルリン絵画館鑑賞記」を付け加えたいと思っている。ボッティチェッリの「玉座の聖母子と洗礼者聖ヨハネ、福音書記者聖ヨハネ」の祭壇画の前に立った時の感動など、どうしても語らずにはいられないのだ(^^;;

  
 ◇◇ 失われたCARAVAGGIO作品 ◇◇

 ベルリンにはかつて5枚のCARAVAGGIO作品があった。第二次世界大戦も終焉を迎えようとしていた1945年5月。ベルリン市が降伏した直後に起こった高射砲台(フラクトゥルーム)の火災で、およそ400点の彫刻とほぼ同数の絵画が失われてしまった。その中には最良のCARAVAGGIO作品3点も含まれていた….。
  1830年のベルリンの旧絵画ギャラリー開設時、その公開準備のため、国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世は、1821年にパリの画商フェレオル・ボンヌメゾンよりジュスティニアーニ・コレクション158点を購入した。そのなかにはジュスティニアーニ侯が愛したCARAVAGGIO作品5点が含まれていた。総額50万フランという、当時でも途方もない値段だったという。
 ヴインツェンツィオ・ジュスティニアーニ侯爵は、デル・モンテ枢機卿と並ぶCARAVAGGIOのローマでのパトロンでもあり、その弟ベネディット・ジュスティニアーニ枢機卿との二人によるコレクションはCARAVAGGIO作品20枚を含む600点にも及ぶ素晴らしいものだった。しかし、19世紀、ナポレオン軍の進駐によるローマ貴族への重税のためジュスティニアーニ家はコレクションを売り出さねばならなかった。その20枚のうちの最良の5枚を含む作品がボンヌメゾンによってベルリンへと渡った。
 この5枚のうちの3枚「娼婦フィリス」「聖マタイと天使」「オリーヴ園のキリスト」がベルリンの砲火によって失われてしまった…。戦争は尊い人命だけではなく、優れた文化遺産さえも破壊してしまう。

 失われた3作品の質の高さはいうまでも無いが、特に「聖マタイと天使」はサン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会中央祭壇用に描かれた作品である。聖マタイの粗野さが受け取り拒否に会い、ジュスティニアーニ侯が買い上げるところとなった。CARAVAGGIOは新たに現在の「聖マタイと天使」を描き直している。新しい聖マタイは上品だ。しかし、画家の始めの意図を物語るこの作品は私の興味を惹いて止まない。失われた名画を想う無念さがある。

 現在、ベルリンに残っているのはベルリン国立絵画館の「勝ち誇るアモール」とサン・スーシ絵画館の「聖トマスの懐疑」の2枚のみとなってしまった。今回のベルリン訪問はこの2枚との対面であったのだ…が。  
 

 《失われたCARAVAGIO作品 3枚》



「娼婦フィリス」
1598年頃
カンヴァスに油彩 66x53cm
      
「聖マタイと天使」
1602年頃
カンヴァスに油彩 223x183cm
 

「オリーヴ園のキリスト」
1603年頃
カンヴァスに油彩
 154x222cm
 
 
 ◇◇ 勝ち誇るアモール ◇◇
 


「勝ち誇るアモール」
1601-02年頃
カンヴァスに油彩 156x113cm
   「勝ち誇るアモール」が戦火を免れたことは不幸中の幸いである。ジュスティニアーニ侯爵が特別なカーテン室を設けてまで愛したこの作品を、私達は現在でも観ることができるのだから。しかし、画面を被うガラスを透して、という無粋な絵画館側の計らいによってだが…。アモールは窒息しないのだろうか?CARAVAGGIOと共有の空間を持てない苛立たしさに喘いだのはどうやら私の方だった。他に人気の無い展示室で一人占めしていたのにもかかわらず...だ。
 アモールは頬を高潮させ勝ち誇っているいる。このアモールの天真爛漫さに観る者もつい微笑んでしまう。この絵の前に立つ者はアモールの圧倒的勝利を認めざるを得ないのだ(笑)。
 下部より細部を詳細に観察する。アモールの足の爪の先がちょっと汚れて黒い。しかし立っているのは地面ではなく床である。縦線のフローリングだ。
 足元にはバイオリンとリュート楽譜が散らばる。<音楽>を現す。本にも細かな文字が記されている。ペンは今書いたばかりと言うように、濃紺のインクが染みついている。これは<知性>。定規とコンパスは<幾何学>。星印の青い球技は<天文学>。これらはスコラ哲学の知的な生を象徴するという。また、黒光りのする甲冑・鞍は<武器>。王冠と杖は<支配>。そし月桂冠は<名声>。それらの象徴する生の全てに勝利するアモール!!
 アモールに注ぐ光は画面左前方からである。光りを受けてアモールの肌は輝くばかりだ。カピトリーニの「洗礼者聖ヨハネ」を想起する。羽はしなってアモールの左大腿部に触れている。その羽の感触さえも伝えるかのような写実の凄さ。ちょうど目線と同じ高さでアモールのかわゆらしいものが真正面にある。決していやらしくはない。大胆不敵な構図にCARAVAGGIOの狙いを見て取る。当然予測されるスキャンダルさえ楽しもうとしているに違いない。画家は一筋縄ではいかないのだ。
 片足をこれ見よがしに欄干にかけアモールは観る者を挑発しているのだろうか?全てに勝る勝利を得たアモールの頬が高潮して紅を刷いたようだ。手に握る赤と黒の2本の矢が美しい。君は愛の矢により全てに勝利した。


 ◇◇ 「聖愛と俗愛」と「地上の愛に打ち勝つ天上の愛」 ◇◇

 この2作品はCARAVAGGIOと同時代の画家ジョヴァンニ・バリオーネ(Giovanni Bagglione)によるものだ。この時期バリオーネはCARAVAGGIOの大きな影響をうけているCaravaggeschiのひとりだった。しかし現在ローマにある「聖愛と俗愛」は「勝ち誇るアモール」に公然と挑戦する目的で、ジュスティニアーニ侯爵の兄ベネディット・ジュスティニアーニ枢機卿のために描かれたものだ。ベルリンの「地上の愛に打ち勝つ天上の愛」もジュスティニアーニ・コレクションによるものだ。
 主題は聖愛と俗愛の間の闘争を描いたものだと言う。一説によると、バリオーネはCARAVAGGIOの少年愛趣味を揶揄する目的で描いたと言われている。「聖愛と俗愛」の悪魔はCARAVAGGIOを描いたものだそうだ(苦笑)。その悪魔は「地上の愛と天上の愛」では後ろ向きで顔が見えない。
 「勝ち誇るアモール」の圧倒的勝利を目にした時、バリオーネには画家としての闘争心が当然芽生えたに違いない。この作品を描いた後、バリオーネはCARAVAGGIOの画風を離れる。そして、翌年1603年にはCARAVAGGIOを「誹謗と中傷の罪」で裁判に訴えるまでになる。ちなみにバリオーネは優れた同時代の伝記作家でもあるが、その「美術家列伝」においてCARAVAGGIOを故意に歪曲して記述しているのは実に気に入らない(^^;;

          
「聖愛と俗愛」
1602年
カンヴァスに油彩 240x143cm
ローマ・バルベリーニ国立絵画館 所蔵
「地上の愛に打ち勝つ天上の愛」
1602-03頃
ポプラ
(ジュスティニアーニ・コレクションより)
ベルリン国立絵画館 所蔵



 ◇◇ CARAVAGGIOの北方絵画への影響 ◇◇

 イタリアにおけるCARAVAGGIOの影響については今更言うまでもないだろう。今回はベルリン国立絵画館の所蔵する北方絵画のなかに、CARAVAGGIOの影響を興味深く観ることができた。北方絵画におけるカラヴァッジェスキの存在はゲストのtoshi館長から教えていただき知った。今回、実際に作品をこの目で観ると、CARAVAGGIOの画法が確実に北方(フランダース・ネーデルランド・ドイツ)へと広がって行ったことが良くわかる。
 しかし、この絵画館での北方のカラヴァッジェスキ達の作品のいくつかはジュスティニアーニ・コレクションに含まれていたものだ。如何に侯と枢機卿がCARAVAGGIOを高く評価し、時代を切り開く画法の革新性を愛していたかがここに窺えるのだ。CARVAGGIOの画法を受け継ぐものを彼らは好んだ。

 フランダースではアントウェルペン出身のピーテル・パウル・ルーベンスがイタリア滞在時(1600〜08年)にCARAVAGGIOを知る。マントヴァ公に仕えていたルーベンスは、教会より引き取り拒否を受けていた「聖母の死」を公のために買い上げている。CARAVAGGIOの優れた評価者だったと言えよう。帰国後、まさにバロック絵画を集大成することになる訳だが、当然そこにはCARAVAGGIOの力強い写実表現や劇的な明暗法の影響も含まれている。また、ブリュッセルのヤーコプ・ヨルダーンスもイタリアでのCARAVAGGIO体験を通して影響を受けているようだ。
 だが、一番色濃くCARAVAGGIOの影響を観ることができるのがネーデルランド(オランダ)のユトレヒト派だ。マニエリスムの画家アブラハム・ブルーマールトの弟子たちから新しい時代への動きがあった。弟子のヘンドリック・テル・ブリュッヘンは1604年ローマでCARAVAGGIOの絵画に出会う。また同門のヘラルト・ファン・ホントホルストやディルク・ファン・バビューレンも相次いでローマに滞在し、CARAVAGGIOの影響を受け1620-21年に帰国している。この3人がユトレヒトで北方カラヴァッジズムの中心となって活躍することになる。中でもホントホルストは何とヴィンチェンツィオ・ジュスティニアーニ侯の館に滞在し、侯のために作品を描いているのだ!ベルリン国立絵画館にある「聖ペテロの解放」も当然ジュスティニアーニ・コレクションによるものだ。また、バビューレンの「使徒たちの足を洗うキリスト」も同コレクションに含まれている。



「聖ペテロの解放」 
Gerrit van Honthohorst
 1616-18年
カンヴァスに油彩 129x179cm
    ホントホルスト描く「聖ペテロの解放」だ。この構図を見て「聖マタイの召命」を想起せざるを得ない。向って右の天使が開いた牢獄の扉後方から神性を現す光が注し込む。天使の指は聖ペテロを指差し、「さぁ、逃げなさい」と招く。驚く聖ペテロ。緊張感が画面に走る。
 聖マタイを招くキリストにも通じるドラマチックな絵だ。ホントホルストのCARAVAGGIOへのリスペクトが強く窺える作品である。聖なる光は聖ペテロを照らす。二人だけの登場人物だが、それだけに親密な緊張感にあふれ、室内劇ともいうような場面になっている。この作品にはCARAVAGGIOのエッセンスが塗り込められている。
 この絵を描いていた時、館のすぐ近所にサン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会があったはずだし、また館にはCARAVAGGIO作品が並んでいたはずだ。当時のローマに思いを馳せてみる...。
     


「使徒たちの足を洗うキリスト」
Dirck van Baburen 1616年頃
カンヴァスに油彩 199x297cm
 バビューレンの「使徒たちの足を洗うキリスト」。キリストに対し、身を屈してこんな卑しい事はすべきではないと抗議する聖ペテロ。
 私はこの作品を前に思わず身を乗り出してしまった。ドラマチックな人物構成と明暗法。リアルな写実性においてもCARAVAGGIOの影響を色濃く観ることができる。ああ、Caravaggeschiだ!と、口の中で叫んでいた。
 その演劇的な表現、身振り、人物像、構図...。バビューレンはCARAVAGGIOを深く学んだに違いない。この作品はバビューレンのローマ滞在時の作品と思われる。1616年ごろ、CARAVAGGIOはローマの人々の記憶にまだ新しい...。作品は創作されたままの輝きに満ちていただろう。
 

 同じくユトレヒト派のテル・ブリュッヘンの「長子権を売るエサウ」は蝋燭の火による明暗の対比にCARAVAGGIOの影響を見る。マティアス・ストーメルの「ハガルをアブラハムのもとへ連れていくサラ」も、これはもうCARAVAGGIOの影響大である(^^)。この3人並びは「ホロフェルヌスの首を斬るユディット」を彷彿させる演劇的構図だ。世俗的写実表現といい明暗法の巧みさといい、なかなかに興味深かった。
 ユトレヒト派にCARAVAGGIOの遺伝子が確実に伝わって行ったことが作品から窺えるのが嬉しい。この遺伝子がかたちを変えながら、同じオランダのフェルメールやレンブラントに伝わって行くのは想像に難くない。

           
「長子権を売るエサウ」
Hendrick Ter Brugghen 
1625年頃
カンヴァスに油彩 94.8x116.3cm
            「ハガルをアブラハムのもとへ
連れていくサラ」
Matthias Stomer 
カンヴァスに油彩 112.5x168cm

 ◇◇◇

 ベルリン国立絵画館の名画の洪水は魅力的であり、すっかり溺れていると時間の経つことさえ忘れてしまっていた。最後に「勝ち誇るアモール」とボッティチェッリにもう一度挨拶して絵画館を出た時、時計は午後4時を指していた。実に鑑賞時間6時間(笑)。お腹はぺこぺこだしフラフラ状態(爆)。とりあえずはホテルに戻ることにした。ふーっ!

2002/02/28 UP

 ホテルでルームサービスを取り、ついでにピルスナー・ビールで良い気持ちになり、ベッドにごろり(笑)。ベルリンは空気が乾いていてビールが美味いんだわ(爆)。が、これで一日は終わり….ではないのだ。毎週木曜日、ベルリンの国立美術館・博物館は夜10時まで開館している。当然その日は木曜日。で、行きましたとも、「ペルガモン博物館」へと(^^)

◇◇ ペルガモン博物館 ◇◇

 ペルガモン博物館はホテルからは遠く、旧東側の博物館島に位置する。夜8時、おもむろにタクシーで小雨降るベルリンの街を東に向う。ラジオからはドイツ語。車窓に映る街を眺めながら、ああ、ここは異国なのだと、ふと旅情のようなものを感じる。しばらくすると、暗い橋の向うに偉容を誇るかのように大きな建物が見えてきた。タクシーを降り、夜の暗がりの中を雨に濡れた広大な階段を上って行く。目の前に聳え立つこの博物館自体が神殿だというような不思議な錯覚を覚える。かなりでかい(^^;
 さすがにこの時間だと入場者も少ない。が、館員はきちんと対応してくれている。入館してすぐ音声テープの貸出しコーナーへと向った。事前に日本語対応のテープがあることを調べていた。で、ありましたとも(^^)v。日本人観光客パワーのおかげなのだろうか(笑)。

 入り口ホールから入ると、そこにはペルガモン祭壇が正面に聳え立つ。ギリシア神話に題材を取る大フリースの壁面が正面階段を囲んでいる。広くかなり高い階段を上っていると、小フリースに囲まれた祭壇がある。フリースはところどころ破壊されてはいるが、物語構成、神々・英雄の表情・身振りが素晴らしい。
 ところで、古代ペルガモンにあったこの祭壇が何故ベルリンにあるのか…。良質の古代エジプト美術が大英博物館にあるのと同じだね(苦笑)。いくら文化財保護者を気取っていても…だ。

 ペルガモン祭壇ホール左のホールはヘレニズム・ギリシアの建築物(主に門)が一部そのままに建っている。柱の造形の美しさとその高さに驚く。かつて、アテネのパルテノン神殿を訪れた時の円柱の並ぶさまを思い出す。そのまま、続く古代美術彫像室をぐるっと見て回り、祭壇右のホールにあるミレトスの市場門に移動する。ローマ時代の市場門がそのままの大きさで再現されている。市場門に上ってみると、当時の市場の場景が想像されてなかなか興味深い。そして、続くのが、古代バビロニアのイシュタール門!素晴らしく美しい色のタイルで飾られた壮麗な門だ。以前NHKの特集番組を見た事があり、それがそのまま目の前にあるのも不思議な感動がある。とにかく、古代文明にあまり興味の無い私にはもったいない博物館だった(^^;;

 帰り際にミュージアム・ショップでガイド本の日本語版(!)を見つけ即購入。ついでに、タクシーを呼んでもらいホテルに帰ることにした。夜遅くの交通手段は他には無いようだ。運転手には、ブランデンブルグ門を通って欲しい、とリクエスト。しかし、改装工事中のブランデンブルグ門は工事布に被われて姿が見えない!あんまりです(T_T)。それでも、この門をバックにベルリン・フィルとクラウス・マイネが共演したのね、などとつまらぬことに思いを馳せたのであった(^^;;
 (ちなみに、絵画館に行った時、カラヤン・サーカスの前を通ったのだが、ちょっと異様に目立っていた(笑)。Bさん、そうですよねっ(^^;)

 ◇◇ ポツダム サン・スーシ ◇◇  
 

 翌日はミラノ経由で成田へ帰国の予定だった。ミラノが夜発なので、ベルリンに午後2時ごろまで滞在することができる。ホテルをチェックアウトし、荷物を預け、そのままポツダムへと向う。ポツダムはホテル近くのZOO駅からSバーンに乗り約40分ほどだ。ローカル線の電車といった感じのSバーンだ。秋深いベルリン郊外は広葉樹も色づき、葉を落とし、冬の訪れを待っているかのようだった。


サン・スーシ絵画館
休館のお知らせボード
    ポツダムのサン・スーシ宮殿は観光の目玉と見え、ポツダム駅近くには大型観光バスが立ち並び、観光客もやたらと多い。時間に追われる私はタクシーでサン・スーシ絵画館へと向った。ここが絵画館、と運転手に指差し教えられて絵画館への道を上る。もうすぐCARAVAGGIOの「聖トマスの懐疑」に会える!と思うと胸が高鳴る。
 しかし、おかしいぞぉ(・・;)。絵画館はひっそりとしている。ようやく入り口と思われる場所を見つけた。白いボードが立ててある。えっ?!11月から3月まで閉館?!!!そっ、そんなぁ〜〜〜!!!(涙・涙・涙)。
 それでも信じられない私は、隣に建つサンスーシ宮殿の庭掃除の女性に尋ねた。やはり、答えは「休館中」!!!あんまりですってばぁ〜(悲鳴)。日本からわざわざ…なんのために….。気落ちして、しばらく絶句していた....が、欧州ではよくあることだと気を取り直し、絵画館の周りを散策することにした。美しい絵画館である。夏は庭も見事だろう。また、いつか….きっと...(健気だなぁ)。
   
サン・スーシ絵画館 サン・スーシ宮殿


  <サン・スーシ宮殿> Sちゃんに捧ぐ(美術史美術館CARAVAGGIO作品前コメントの御礼(笑))
    BGMはフリードリッヒ大王作曲「フルート協奏曲 第4番 ニ長調」、「フルート・ソナタ 第7番 ホ短調」


 CARAVAGGIOに会えないので時間が予定より余ってしまった。だったら…予定外だが、サン・スーシ宮殿を見学しよう!と、受付で入館時間と所用時間を確認。時間的に間に合いそうだ。ということで、宮殿見学のツァーに参加した。見学時間は45分ほどで、ドイツ人のガイド付きだ。出発前に「英語の解説があるけど、いる?」と聞かれた。ふふふ、事前調査済みなので、「日本語版ありますかぁ?」と尋ねたら、ありました(^^)v。ドイツ人達の後につき、透明ケースに入った日本語の解説文を読みながら見学したのだった。ちなみに、入場者はみな靴の上からフェルト製の大きなスリッパを履いて、足を引きずりながら見学するのだ(笑)。これは床を痛めないため。
 サン・スーシ宮殿はプロイセンのフリードリッヒ大王が建てた華麗なロココ様式の離宮で、その庭もすこぶる美しい。宮殿内にはワトーの絵が何気に飾られていたりする。フリードリッヒ大王は歴史に名を残すくらいだから政治好きだと思っていたのだが、意外な事に政治よりも音楽や哲学を愛する王だったようだ。即位前、王になりたくないとダダをこねたらしい。犬を愛し、フルートを好み....。で、大王愛用のフルートも展示されていた。大王自らフルート曲も作曲しているほどのフルート好きのようで、室内装飾にも五線符が使われていた。友人でバッハとフルートをこよなく愛するSちゃんの話では、大王作曲のフルート曲には、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの手も入っているらしい。
 宮殿内の各部屋の室内装飾も見事で、各部屋毎にロココ趣味に溢れたテーマと色彩がある。かつて、第二次世界大戦終結のための「ポツダム宣言」の会議はここで行われ、各部屋に各国首脳が宿泊したという。ここは、スターリンが泊まった部屋...などと、ガイドから説明を受けた。
 ガイド・ツァー終了後、その有名な美しい庭を散策した。階段状の段々になっている庭で、下から仰ぐとその造形のみごとさが良くわかる。季節的に晩秋ということで、やや寂しくひっそりとしていたが、やはり春から夏が一番美しいのではないかと思う。庭園は広く、池や水車小屋、茶館など、散策が楽しめるよう散らばっている。しかし、私にはそんなに時間がないのだ。また、タクシーを拾いポツダム駅からSバーンでベルリンへと戻った。
 
 ベルリンZOO駅界隈は賑わっていた。ところが、道を渡ったところでホテルの方角を見失い迷い子になってしまった。道行く人にホテルの名を告げ、ようやく戻る事ができたたのだが....やれやれ(^^;;
 あっという間の短い滞在で街の観光もあまりできなかった。戦勝塔(映画「ベルリン天使の詩」にでてくる)さえ、遠くから眺めるだけだった。でも、また帰ってくるのだから...「聖トマスの懐疑」のために....。ホテルで荷物を受け取り、タクシーでテーゲル空港へ向った。

 2002/03/16 UP

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