REPORT
 2001年 ナポリ・ローマ・ベルリン 奮闘記 2 ―

◆ローマ奮闘記

 ローマのテルミニ駅に到着したのは結局午後4時過ぎになっってしまった。ナポリは海風で意外に寒かったがローマは暖かい。他の都市からローマに来ると何故か安心感でほっとする。多分来慣れた街だからだろうが、相変わらずの街の喧騒も懐かしい。ホテルはバルベリーニ広場に近く、国立絵画館もすぐそこだ。近くのバールで暖かいお茶を飲みながら一息つく。


「Orazio e Artemisia Gentileschi 展」
   実質的ローマ奮闘記は翌日である。ローマについては事前にほとんど下調べをしていなかった。とにかくゲストの気まぐれさんがおっしゃっていた「CARAVAGGIO展」をしていたベネチア宮殿だけには行こうと思っていた。だが、行って見ると残念なことに既にCARAVAGGIO展は終了しており、現在は「Orazio e Artemisia Gentileschi 展」が開催されていた。Caravaggeschiであるジェンティレスキ親娘なので、これは必見と早速入場する。
 なかなかに見応えのある充実の展覧会だった。特にOrazio作品は、マニエリスムの構図にCARAVAGGIOの影響が入り混じる作品やCARAVAGGIOの影響がしっかりと確認できる作品まで、作風の変遷を見る事ができた。
 展示作品では「ホロフェルヌスの首を持つユディット」は特に凄いと思った。籠の中に首が血を滴らせながら置いてあのだが、その下敷きの白い布の質感、そして血で汚れたようすまで生々しく描かれている。背後の緑のカーテンが血の鮮やかさを強調しているかのようだった。(個別感想については後日別途にUPしたい)。
 今回の「ジェンティレスキ親娘展」の展示は先のカポディモンテ美術館と同様に全体的に薄暗く、CARAVAGGIOの明暗法の影響を表わす為か、各絵画の上方にスポットライトが数個づつ装置されており、その光が絵画上の光源になっていることを示している。ひとつひとつの絵画についての装置なので、セッティングの手間が察しられる。このようなCARAVAGGIOやCaravaggeschiたちの明暗法への展示配慮は日本での「カラヴァッジョ展」から目に付いた。カポディモンテの例をみても解るようにイタリア美術界のリスペクトの意思が確実に感じられる。2001年、世界各国での争うようなCARAVAGGIO展の集中連続開催をみるにつけても、イタリア(政府?)は大々的に世界的規模での広報戦略に乗り出したものと思われる。
   

いつのまにか
りっぱなガイド本が...
   さて、ヴェネチア宮殿まで来たら当然ドーリア・パンフィーリ宮殿も近い。ということで寄りました(笑)。驚いたのはすっかり様変わりしていたこと! 以前来た時は素朴な対応でとても好もしかったのに、今回はすっかり世俗化してしまった。この頃どこの美術館でもお馴染みの音声ガイドも用意されていたし、カタログを置く売店までできていた!! あ〜あ、手作りの案内コピー紙時代がたまらなく懐かしい(~o~)。 それにしても困るのだよね...MUSEUMも更新しなくては...(^^;;
 更に驚く事に、CARAVAGGIO作品の展示場所も変わった!! そーなのです、ドーリア・パンフィーリも申し合わせたように明暗法の効果を強調するため、特別に展示室を暗くしスポットライト照明にしている。そのなかで「悔悛のマグダラのマリア」と「エジプト逃避途中の休息」に再対面した。
   


「悔悛のマグダラのマリア」
1596-1597年頃
カンヴァスに油彩 106.1x97.2cm
   マグダラのマリアは涙を流す。ひっそりと悔悛しながら…。ここには劇的な要素は省かれ、静かに自分の内を見詰める若い女がいるだけだ。足元にアトリビュートである香油の入ったガラス壷。側に散らばる真珠や金の装飾品…。虚飾を打ち捨てた彼女の流す涙の雫は真珠よりも美しいのかもしれない。マグダラのマリアを包む光は淡く柔らかい。部屋に注し込む光が神性を暗示しているかのようだ。
この俯く赤毛の若い女があまりにも普通過ぎて、初めて観た時には意表をつかれたような気がした。しかし、このどこにでもいそうな、という現実感こそ「悔悛のマグダラのマリア」に相応しい。観る者は身近に感じる彼女の悔悛に共感を覚える。仰ぎ見る姿の「マグダラのマリアの法悦」とはまた違う共感である。
 この作品の俯く姿は同美術館所蔵の「エジプト逃避途中の休息」の聖母マリアに継承されている。同じ赤毛のような気もする。
 また、この作品とナルキッソス衣装の類似点は「カラヴァッジョ展鑑賞記」にも書いたが、シルク・ジャガードと思われる衣装は印象的であり、ブラウスの白のクレープも柔らかい質感を出している。写実描写の巧みなCARAVAGGIOである。
 ちなみに、この絵はCARAVAGGIOが初めて完全に部屋の量感を出そうとした最初の例とされている。確かに床と壁の描き方は初期作品と異なる奥行きを見せる。
    


「エジプト逃避途中の休息」
1596-97年頃
カンヴァスに油彩 130.2x160cm
   主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼子を探し出して殺そうとしている。」(マタイによる福音書2-13)
 逃避途中のそこには束の間の安らぎと調べがある。天使の奏でる調べに聖母子はまどろむ。聖ヨセフの掲げる楽譜はモテット「あなたはなんと美しい」(ノエル・ヴォールドウィン作曲)。鮮やかな色彩と柔らかな光にあふれた作品である。
 CARAVAGGIO初期はベネチア派の影響を受けたとみられる豊かな色使いが見られる。そしてCARAVAGGIO作品にはめずらしく、背後に田園風景がひろがり、画家ものびやかに描いているようだ。画家が影響を受けてきたものを窺い知ることができる作品だ。
 天使のややねじれたポーズと白い腰布はマニエリスムの影響ななんのだろうか?腰布の結び方も絶妙である。しなやかな天使の姿は観るものを楽しませたであろう。たとえ羽の位置が苦しくとも…(^^;
 この作品を観ていると、私がCARAVAGGIOに目覚めた「イサクの犠牲」へと繋がることが容易に想像できる。
 

 さて、ドーリア・パンフィーリを訪ねた本当の意図は「洗礼者聖ヨハネ」をもう一度じっくりと眺めたいと思ったからだった。
 前回、訪れた時だった。ひっそりとした回廊の角でふと見上げた瞬間、在るはずのない作品に目を奪われた。「洗礼者聖ヨハネ」が何故ここに...?そのうえ自分の意思とはかかわり無く私の視線はこの少年の身体の上をを這っていた。不思議だが画家の視線も同時に感じたのだった。画家による巧妙な仕掛け。観るものは皆この少年の輝く腿から膝へと視線を誘われるに違いない。しかし、書籍を読むとこの作品は模写だという。私にはどうしてもこの作品の強力な引力に、これは単なる模写ではないと思った。
 後日、この「洗礼者聖ヨハネ」の真作を観るためにカピトリーニ美術館を訪ねた。真作は模写作品に比べ小ぶりだが、黄金色に輝く洗礼者ヨハネは緻密であり、完成度は高かった。すべらかな肌は観る者をうっとりさせる。文句無しにこの真作は素晴らしい。だが、私はこの真作にどきどきするような引力を感じることができなかった。作品の完成度の高さと鑑賞者をたぶらかす(?)筆使いは同じではない。私にはこのドーリア・パンフィーリ作品の方が衝撃度の大きさでより興味深かった。模写が真作を超える衝撃を与えるとは....。それは私にとっての謎だった。
 2001年、日本での「カラヴァッジョ展」の図録(カタログ)解説の中で私の謎が解決した。ドーリア・パンフィーリ作品はCARAVAGGIO自身による模写すなわちレプリカであると....!!
 

          
「洗礼者聖ヨハネ」
1599-1600年頃 
カンヴァスに油彩 129x94cm

カピトリーニ美術館
「洗礼者聖ヨハネ」
1599-1600年頃

ドーリア・パンフィーリ美術館
   

 ちなみに、この「洗礼者聖ヨハネ」はアトリビュートとしての十字架を持っていない故に「少年の絵」とみなされることもあるようだ。いずれにせよ、CARAVAGGIOは少年を描きたかったのであり、この作品にエクスキューズとして(笑)描かれているアトリビュートである羊や毛皮の衣は単なる付け足しのような気がする。「洗礼者聖ヨハネ」は挑発するような少年のしなやかな肢体を鑑賞するするために描かれたものと私は勝手に解釈している。(^^;

2002/01/25 UP

 ドーリア・パンフィーリを出てホテルに向って歩いている途中、ある本屋の前で足を止めてしまった。店頭に並ぶ本の表紙に何気にCARAVAGGIOの顔を見てしまったのだ。「ROMA dove trovavre...」(SCARA刊)だった。思わず手に取り、即購入した。この本のおかげで苦労をすることになるとは...この時点ではまだ知る由もなかった。
 近くのバールで遅い昼食を取った後一旦ホテルに戻った。くつろぎ体制に入ってしまうと怠惰な性格がモロに出て、その後の目的地は近場にしようと決める。一番の近場は何と言っても「バルベリーニ国立絵画館」だ。
 バルベリーニもすっかり変わってしまっていた。宮殿地下にロッカーやショップが設置され、妙に現代的になっていたのだ。更に驚く事に、入場チケットには見学時間が刷り込まれ時間制になってしまった。なんだか悲しくなる変わり方だ。
 さて、2001年11月現在の絵画館は、「ナルキッソス」は日本に貸出し中、「洗礼者ヨハネ」も貸出し中。ということで、CARAVAGGIO作品では「ホロフェルネスの首を斬るユディット」だけが展示されていた。バルベリーニの目玉であるラファエロも貸出し中だったし、もう館内の名画がスカスカ状態(笑)。しかしホルバインの「ヘンリー8世」など見応えのある作品も残っている。そういう中でもCARAVAGGIOのユディットは迫力といい質といい、その存在感は素晴らしい。



「ホロフェルヌスの首を斬るユデット」
1599年頃
カンヴァスに油彩 145x195cm
    ユディットはベツリアの町を救うため、包囲したアッシリアの将軍ホロフェルネスに近づき、酔わせてその首を斬る。将軍を失ったアッシリア軍はその包囲を解くこととなる。(聖書「外典」)
 悶え最後の断末魔をあげるホロフェルネスと眉間に冷たい嫌悪の表情を浮かべながら首を斬るユディット。この両者の対照的な表情に、更に右端の好奇心に満ちた老女の実にリアルな表情描写が加わり、この絵に劇中の一場面のような緊迫感を与えている。
 ユディットの白いブラウスから胸がほんのりと赤味を帯びているのが透けて見える。彼女の興奮が伝わってきそうで、画家の観察力・表現力に驚く。また、衣装は一連の他作品にも見られるジャガード織りで、この時代のモードなのだろうか?また、改めて気付いたのがユディットの耳飾だ。これは「悔悛のマグダラのマリア」の足元に散らばっていたあの真珠の耳飾と同じではないか?ティアー・ドロップ型に黒いリボン。失われた「フィリス」も同じ耳飾をしている。当時の流行なのだろうか?まぁ、画家も小道具には苦労をしたのだろうが、モデルがみな同じ耳飾だなんて...ね(笑)。
 ホロフェルヌスの首から迸る血は白いシーツの上で更に鮮やかである。これより少し前に「メデューサ」を描いている画家はこの作品で表情と鮮血効果も考えていたに違いない。背景の暗紅色のカーテンの襞のうねりはホロフェルネスの血を彷彿させながら、まるで演劇の舞台装置のように場面を引き立てる。老女は首を入れる袋を持って待ち構える。この首を斬る、待ち構えるという一連の動作の横並び構図がなかなかに面白い。制作時期からすると、この直前に「ナルキッソス」制作と見られている。心理劇の濃厚な作品が続いていたようで興味深い。
 ユディットを主題に扱った絵画は数多い。しかし、贔屓目ではあるがCARAVAGGIOのこのユディットは他作品に引けを取らない迫力で観る者を魅了する。 

 2001年8月に行われた『フィレンツェ修復の都』の公式ガイドにこの作品の技法の解説が載っていた。CARAVAGGIOは下絵を描くことをせず、絵筆で直接カンヴァスに描いていたと言われている。褐色の下塗りが乾く前に画家は大まかな構図を柄のような先で彫り込んでいる。そして写生をしながら顔料を直接絵筆にたっぷりとり、すばやくうねるように描いていたようだ。スケッチ段階から細部を詳細に決めていた画家。細部まで既に脳裏に刻み付けて画布に向っていたということか?眼前のモデルたちの向うにこそCARAVAGGIOの見ている世界があるのだろうか?しかし同時に、画家は眼前のもの達を鋭く観察し細部まで緻密に描き込んで行く。思うのだが、観たままではない。観たものを、現実の姿を借りて写しているいるのではないか?


「ROMA dove trovavre...」
   作品も観客も閑散とした館内でゆっくりと絵画を楽しんでいると係員がチケットをチェックしながら「4時までだよ」と言う。あと10分程の猶予というわけだ。私はもう一度CARAVAGGIO作品の前に戻ると別れを告げ、ゆっくりと地下への階段を降りた。(ここの階段はボッロミーニによるものだと思うのだが?)
 地下のロッカー隣のショップには、バルベリーニだけではなくボルゲーゼ所蔵の絵葉書・ガイドブック類も充実している。ショップの女性に今日この後行く予定の天井画のある「Casino Ludovisi」の場所を聞こうと、ショップ内にも置いてあった「ROMA dove trovavre...」を示す。この本の中にCARAVAGGIOの天井画 も扱われており、所蔵は「Casino Ludovisi」となっていた。一番新しい資料情報である。Casino dell' Aurora と記述されているのだが....。彼女がショップ内の書籍を色々当たってくれたのだが、「Casino Ludovisi」はわからないと言う。
   

San Carlo alle Quattro Fontane
1634-67

(カメラマン失格(^^;)
   疑問を抱えたまま次ぎの目的地である「サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ教会」に向う。と言っても、バルベリーニからつい目と鼻の先2、3分の距離(^^;。この教会はバロック建築においてベルニーニの好敵手だったフランチェスコ・ボッロミーニの傑作だ。前回来た時は扉が閉まっており、中の見学ができなくて泣く泣く帰った。今回こそとはと期待で扉を押す。はいっ!入れました(^^)v。内部はとにかく素晴らしいの一言!!天井部(クーポラ)の白い十字架と蜂の巣形状の美しさといったら...!!天井の採光取り入れ窓からの光が教会内を静かに照らす。最高部に金色の鳩。採光窓に緑の葉の模様が美しい。白で統一された溜息のでる美しさ...。この教会にすっかり惚れてしまった。バロック建築なのだがベルニーニのような過剰さが無い。抑制された装飾には可憐ささえ感じられる。教会内を巡ってみる。狭い中庭の回廊(クロイスター)の輝く白の清楚さが胸を打つ。狭くつつましやかな空間をこれだけ演出できるボッロミーニはベルニーニに引けを取らない天才である!以前、イアタリア建築史の陣内秀信氏の本を読んだことがある。ボッロミーニに対する想いが伝わってきて、何時の間にか私もボッロミーニのファンになってしまっていたようだ。素晴らしい教会に出遭えたことに感激しながらしながら次の目的地に向かう。
   

「聖女テレジアの法悦」
(ピンボケ写真(^^;)
 向った先はボッロミーニの宿敵ベルニーニの「聖女テレジアの法悦」がある「サンタ・マリア・デッラヴィットリア教会」だ。なにしろ歩いて10分かからないのだもの(笑)。「聖女テレジアの法悦」はCARAVAGGIOの仰ぎ見る「マグダラのマリアの法悦」の構図に似ている。ベルニーニが影響を受けている可能性もある。今回はこの点を中心にチェックしたいと思ったのだ。が、このコロンナ家の礼拝堂は高い位置に彫刻が置かれているのだ。矢を掴む天使も聖女テレジアも鑑賞者は下方からしか観れない。コロンナ家の彫刻になってしまった人々は観覧席から覗き込むように観ているのだけれどね(笑)。私もつま先だったり、できるだけ背伸びしながら像に迫ろうと努力した。でも、写真などで観る角度は絶対に無理だ。あ〜あ、すっかり疲れてしまった(~o~)。ふと手すりを見ると、この「聖女テレジア」について各国語の解説文書が置かれているではないか。ふふふ、ございましたとも、日本語が(^^)v。日本人はローマの観光収入源でもあるし(爆)。
 聖女テレジアは衣装の襞に隠れ、天使の方が鑑賞者からは見えやすい。天使はいたずらっぽく微笑みながら矢を向ける。ふーむ、キリスト教的天使というよりもアモールに近いのではないだろうか?(^^;
 ベルニーニの繊細で大胆且つ過剰な表現は将にローマ・バロックを代表するものだろう。
   

 で、時間が押せ押せ状態になって行く。最後の目的地は天井画!近くだと思うが取りあえずタクシーを捕まえて、「Via AuroraのCasino Luovisへ」と言った。もちろん「Dove...」の地図も見せた。タクシーの運転手はとにかく走り出した....がっ!降ろされたのはボルゲーゼ公園手前のベネト通り。??な、なんだ?? 「この近くだと思うけどわからない」としゃーしゃーと言う運転手に唖然!あんまりだぞーっ!! あわてて近くの某有名ホテルに駆け込み、ドア・マンに尋ねた。「Via Auroraは向いを行ったところ。でもCasino Ludovisiはわからない。」とのこと。教えてもらった通りを目指してベネト通りを横断する。多分この辺だろうと思われる通りに行って道行く人に「Cacino Ludovisiはどこでしょう?」と尋ね捲くった。みーんないいかげんなんだものぉ。あっちじゃないか、こっちじゃないかって。Parking Ludovisiの女性は親切だった。知りあいにも声をかけてくれて....。でも、誰もわからない。私はその向いの大きな屋敷が気に掛かっていた。頑丈な塀に囲まれて内部がよくわからない。しっかりと鍵まで掛かっていた。
 あきらめきれずその近くをぐるぐるまわって....あるバールのそばで気の良さそうなおじさんにもまた尋ねてみた。すると、「ちょっと、まってて」と言って、バールに入って行った。すると大きな身体の一見恐そーなおにいさんを連れてきた。良く映画に出てきそうなイタリア仕立ての服をピシッと決めた逞しいおにいさんで、長髪を後ろで結んでいる。マフィア映画に出てきそうな恐持て顔(^^;。「どれ、その本を見せてごらん。」と意外にやさしく言って、本を持ってまたバールに戻って行った。バールの仲間に聞いてくれているようだった。「この本を読んで見ると、天井画がありそうなところは、あのヴィラだと思う」と指差した。カジノ・ルドヴィーシ で探し捲くっていたら、何のことはない、結局ヴィラ・ルドヴィーシだったのだ!!(コワモテおにいさんに感謝!)
 あたりはすっかり日が暮れていた。さすがの私も疲れ果て、これ以上は無理とホテルに向った。でも、来年があるさ!どこまでも強気だな(苦笑)。
 後日談として、2002年正月にNHKハイビジョン番組でこの天井画が取り上げられた。持ち主のルドヴィーシ侯爵もご出演なさったが、現在ヴィラ・ルドヴィーシは閉鎖され天井画は一般公開はしていないそうだ。が、それであきらめるような柔な管理人だと思います?(笑)。


 短いローマ滞在だったが、今回の旅行の主目的はベルリンの「勝ち誇るアモール」ということで、翌日にはベルリンへと向った。ベルリンへの移動はミラノ経由で1日掛かりになる。ベルリンは主要都市からの直行便が少ない不便な首都である。ようやく、奮闘記もベルリンへとたどり着く事ができそうだ(ほっ)。


2002/02/11 UP

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