REPORT
 2001年 ナポリ・ローマ・ベルリン 奮闘記 ―


 2001年11月初旬、テロの恐怖も何のその。私の好奇心には誰も勝てないのだ(^^;。1週間でナポリ・ローマ・ベルリンを回るという、かなりタイトな日程ではあったが、CARAVAGGIOの絵を観たい一心で行ってきた。勝手気ままな一人旅だったので、好きなだけ絵画鑑賞に時間をかけることができた。その代わり、一般観光客が行くような名所・旧跡は通りすがりにちょっとだけ(笑)。ということで、CARAVAGGIO絵画を巡る悲喜こもごもの奮闘レポートをお届けしたい(^^;。 


◆ナポリ奮闘記

 1606年5月29日、ローマ。身辺に喧嘩沙汰が絶えないCARAVAGGIOではあったがが、球技をめぐる喧嘩から遂に殺人を犯してしまう。画家はローマから脱出したものの、裁判では死刑の判決が下り、長い逃亡の日々が始まる。その年の9月か10月頃にCARAVAGGIOはナポリへと赴く。ナポリには翌年の7月まで絵画を描きながら滞在している。その間にナポリの銀行にちゃんと預金口座を持っていたというから偉いぞ(笑)。その後マルタ、シチリアと赴くが、再び1609年10月ナポリに戻り翌1610年7月まで滞在してる。これはローマ方法王の恩赦を待つためといわれる。

  2度のナポリ滞在でCARAVAGGIOが描いた絵画で現在残っているのは
  

第一次ナポリ滞在期作品 制作年 所  蔵 都 市 
慈悲の七つの行い 1606 ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア聖堂 ナポリ
ゴリアテの首を持つダヴィデ 1607 美術史美術館 ウィーン
ロザリオの聖母 1607 美術史美術館 ウィーン
キリストの笞打ち 1607 カポディモンテ国立美術館 ナポリ
荊冠のキリスト   1607頃 美術史美術館 ウイーン
円柱のキリスト 1607 美術館 ルーアン
聖アンデレの磔刑 1607頃 クリーヴランド美術館 クリーヴランド
洗礼者の首を持つサロメ 1607頃 ナショナルギャラリー ロンドン
       
第ニ次ナポリ滞在期作品 制作年 所  蔵 都 市
聖ペテロの否認 1609-10 個人蔵 ニューヨーク
受胎告知 1609-10 美術館 ナンシー
洗礼者ヨハネ 1609-10 ボルゲーゼ美術館 ローマ
洗礼者の首を持つサロメ 1609-10 王宮 マドリード
ゴリアテの首を持つダヴィデ 1609-10 ボルゲーゼ美術館 ローマ
聖女ウルスラの殉教 1610 イタリア商業銀行
(カポディモンテ国立美術館寄託?)
ナポリ


カポディモンテ美術館

 さて、私が周囲の「ナポリは怖いところ」という声を押しのけて出かける気になったのは、何と言っても「キリストの笞打ち」を観たかったからである。ということで、さっそく行ったのはナポリの街を見下ろす丘の上に建つカポディモンテ美術館だ。
 美術館前の広々とした庭は公園となっていて、子供達が芝生のうえでサッカ・ボール遊びに興じている(^^)。ちっちゃい子から高校生ぐらいまで幾つかのグループ毎に、大人もコーチ役をやっていたり、さすがサッカー王国(笑)。この子たちの中から将来デル・ピエロやロベルト・バッジョみたいな選手が出てくるのだろうな。ちなみに、この公園は仏トリアノンを模して造られたという名園らしいが、そこでサッカー遊びができるというのもナポリっ子の懐の大きさだろうか(^^;
 カポディモンテ美術館はブルボン家の宮殿を美術館にしたもので、建物自体も壮麗で美しい。入館して広い階段を上がるとガラスのドアがあり、入るとそこから展示が始まる。第1室はタペストリーが展示されており、次ぎの部屋が...凄い!ラファエロ、テッツィアーノ等が描く肖像画がずらりと並んでいる。ローマ教皇と枢機卿の絵が多く、思わずチェックに入る。モデルは教皇パウロ3世、ファルネーゼ枢機卿、カルロス5世、フィリッポ2世、等。いやはや壮観です(^^;
 ナポリ王国の歴史はスペイン王家の変遷に係わり、アラゴン・ハプスブルグ・ブルボン家の入り乱れた統治の歴史のうえに、ナポレオンの遠征まであり、収蔵美術品もその時々の歴史を映し出す。カポディモンテのこの王宮自体ブルボン家のカルロ王(父はスペイン王フィリップ5世)が建てたもので、母がパルマ・ファルネーゼ家出身ということで、ファルネーゼ・コレクションも重要な展示作品群を形成している。ファルネーゼ家の法王や枢機卿の肖像画にも合点がいく。
 さて、この美術館はとんでもなく広く、しかも所蔵美術品が滅多やたらと多い。有名なカポディモンテ焼陶器などもあり、ひとつひとつ観ていたら段々疲労してきた。う〜む、これではCARAVAGGIOを観るエネルギーが無くなるぞ!と危ぶみ、館員に「キリストの笞打ち」の展示室を聞き出した。作品は上階にあると言う!!。
 再び上階への広い階段を上り、回廊のように並ぶ展示室を辿る。「キリストの笞打ち」はちょうど一番奥の突き当たりの部屋に展示されているのがすぐ判った。順路を進みながら遠目に見えるのだ!!。ほの暗い展示室から絵がライトで浮かび上っている。 どんどん進むにつれて「キリストの笞打ち」が近づく。
 展示室はこの作品のためだけの特別な小部屋になっている。室内はほの暗く、ちょうど日本での「カラヴァッジョ展」のようだ。そして「キリストの笞打ち」は上方からのスポットライトの光を浴びている。そうなのだ、このスポットライトこそ将にCARAVAGGIOの「光と闇」の光源の所在を示しているのだ!!
 今回イタリアの美術館を巡って良くわかったのだが、CARAVAGGIGIOやCARAVAGGESCHI達の作品に対する取り計らいとして、「光と闇」を効果的に展示するため展示室は暗めに、光源にはスポットライトを配置するようにしているようだ。並々ならぬCARAVAGGIO達へのリスペクトと考えても良いと思った。

 

「キリストの笞打ち」  中央の円柱にキリストは縛りつけられ、笞打ちが今始まろうとしている。キリストは静かな哀しみの表情を見せながら身をよじり、これから始まることを覚悟しているようだ。
 左前上方からの光がキリストを照らす。画家がこんなに均整の取れた、まるでもうひとりのミケランジェロ( ブオナローティ )の描くような肉体を持つキリストを描くなんて珍しい。胸板が厚いのだ(^^;。笞打ちをしようとしている男達も、お腹は弛んでいたりするが、仕事柄筋肉は鍛えられていて、宗教画とは言え、圧倒的に男臭い世界である(^^;;。(すみません)
 中央で身をよじるキリストの構図にもマニエリズムの影響を見て取ることができそうで、CARAVAGGIOはやはりミケランジェロを意識していたのではないだろうか?
 この絵の前に立つと、ちょうど左手前で笞用の木を束ねている男の腕が目線の高さにあり、黒いベストから覗く白いシャツが妙に現実的で生々しく感じる。左手の男の表情も、いかにも悪役風で憎々しげだ。口を開け息を吸い、笞を持つ手に力が入る。右の柱に縛り付ける男の顔の上半分には光が当たっていて、おでこがやけに印象的なのだ(^^;。この悪役3人の憎らしさがリアルで強いほど、中央で光を受けながら俯くキリストが違った静かな次元にいるような印象を与える。闇の沈黙が伝わってくる。
 不思議なのだがCARAVAGGIOはキリストの痛めつけられた身体を描かない。ここでのキリストも荊冠による血の雫のみだ。メデューサやホロフェリヌスの血を吹く首を描く画家なのに...。彼の敬虔な宗教感によるものなのだろうか?
 この絵はサン・ドメニコ・マッジョーレ教会の礼拝堂のために描かれた作品であり、信者はこのキリストの受難を深く敬いながら祈りを捧げたのだろうと思う。
 なのにこの作品を観てサド・マゾ的だと感じる異教徒の私は罰当たりに違いない(^^;;;。 

←ローマで見つけたのが左の絵だった!(@_@; (SCALA刊「ROMA dove trovavre...」)
 そして、帰国してからA.モワールの本を読み直したら、なんだか自分の感想と同じようなことが書いてあったので嬉しかった(^^;
 
 

ミケランジェロのデッサンを元に
Sebastiano del Piombosu が
描いた「笞打ち」

 カポディモンテ美術館にはイタリア商業銀行所有の「聖女ウルスラの殉教」も寄託されているらしいのですが、私は気がつきませんでした。見逃してしまったのだろうか??御存知の方がいらっしゃったらお教えください。 

 さて、ナポリにはCARAVAGGIO絵画の影響を受けたカラヴァッジェスキ達が当時多数いる。カポディモンテのバロック期を中心とした展示室にも、いかにもこれはカラヴァッジェスキとわかる作品を多く観る事ができた。Guido Reni、Carlo Sellito、Battistello Caracciolo、Jusepe de Ribera、Massimo Stanzione、Mattia Preti 、Bernardo Cavalino など CARAVAGGIOの影響を想わせる絵が多かった。
 実はカポディモンテ美術館はArtemisia Gentileschiの「Giuditta e Olferne」(ユディットとフォルフェルヌス)を所蔵しているのだが....勿論私も今回観ているのだが、ナポリではなくローマでだった....ようだ(^^;。詳細はローマ奮闘記をお楽しみに(笑)
 
 カポディモンテ美術館にはもちろんフィリッポ・リッピやボッチチェルリと言ったルネサンス美術も多く、語りたいことも多いのですが、取りあえずここではCARAVAGGIO中心の記述にとどめておきます。

 さて、この日時間があったらピオ・モンティ・ミゼリコルディア教会にも寄ってしまいたいと、カポディモンテを出るとタクシーを拾った。運転手に教会名を告げるとわからないという....(>_<)。仕方が無いのでホテルに戻ることにした。あ〜あ、CARAVAGGIOはナポリじゃ有名なはずでしょう?!
 ホテルに戻りフロントで聞いてみた。「CARAVAGGIOならカポディモンテに...」と言う。え〜っ、ミゼリコルディアを知らないって?!それならば、とフロントのおじさんが英語版のナポリ観光案内のパンフレットをくれた。自分で調べろと言うわけだ。そのパンフに目を通す。あ、あったじゃない!!住所も電話も載っている。即、ホテルを出てタクシーを捕まえ、住所を示す。今度は手応えありで、ナポリの細い一方通行の道をくねくねどんどん走って行く。外の景色はまさにナポリの下町(^^;。ちょっと危なそうな通りを走って行く。
 ここだね、とタクシーが止まったのは外装工事中の教会前。ちょっと怖そうな所なので車に待っててもらいドアへと....。な、なんと閉っているっ!!途方に暮れました....。タクシーの運転手は早く帰ろうと催促するし...。またホテルに戻ることにした。いや、その前に腹ごしらえを....。お腹が空いては元気もでません。遅い昼食のピッツアと白ワインで、明日があるさと妙に楽天的になってきた。そう、酔っ払ったのだ(笑)

2001/11/18 UP  11/25 一部加筆修正

 翌朝、念の為ホテルから教会へ電話を入れてもらった。教会内を見せてもらえるという(^^)v。再びタクシーでピオ・モンティ・ミゼリコルディア教会に向う。今度は扉が開いた!中に入ると教会のおじさんが静かに観るようにと目配せした。中では何とCARAVAGGIOの絵の前で礼拝が行われているではないか! 
 礼拝に参加している信者は30人くらい。それも何故か年配の女性ばかりだ。敬虔な祈りのなかにも、ほのぼのとしたものが感じられる。それにしても、本物の「慈悲の七つの行い」の前で現在も礼拝が行われているのを目の前にすると、この宗教画を作品として観ている自分に気づき恥ずかしくなる。当時の人々にとってもCARAVAGGIOの宗教画は祈りを捧げる対象だったはずだ。この「慈悲の七つの行い」も神々しいものに見えてくるから不思議なものだ。CARAVAGGIOの宗教画の持つ意味をもう一度問い直さないといけないようだ(^^;
 礼拝の終わりに信者たちが互いに握手をするのがこの教会の慣わしのようで、図らずも、私も3人の信者の方と握手をすることになった。そのおばちゃまたちの笑顔が皆素敵で、彼女たちの生きてきた年月を思い描いてしまった。きっとムッソリーニの時代も敗戦の時代も、しなやかに逞しく生きてきたに違いない。神の前では皆良き人となれるような気がした。
 礼拝が終わると、教会のおじさんは親切にもCARAVAGGIOの絵やその他の絵・彫刻(人形?)について一生懸命説明してくれた、が、イタリア語で...(^^;;。途中で私が「わかんない顔(・・;)」になったのに気づき、「ポコ?少しはわかるんだろう?」と尋ねるが、勿論わかるはずがない(爆)。指で「凄くポコ!」と示したらあきらめてしまった(^^;。それぞれの絵画には英語の説明もついていたので、怪しい語学力でのなんとか拾い読みとなった。 

「慈悲の七つの行い」  まじまじと対面するこの絵の構図はやはり複雑で、慈悲の七つの行いをひとつの画面に纏め上げたCARAVAGGIOの力量に感嘆する。慈悲の行いは「マタイ福音書」の中でキリストが彼自身になされた七つの善行を挙げたものである。解説などを読むと、聖書の記述からそれぞれの慈悲の行いを画家自身が組みたてたようで、CARAVAGGIOの聖書への深い傾倒と想像力に改めて驚く。CARAVAGGIOにとって聖書・宗教とは一体どのようなものだったのだろうか?益々興味をかきたてられるのだ。
 @左の宿屋の主人は3人の旅人に宿を与える。A画面中央の若者は裸の乞食に衣服を与え、Bその奥の足なえで病んだ若者を見舞う。Cその奥ではサムソンが水を飲み渇きを癒している。そして、一番目立つのが右でD牢獄に捕らえられた父シモンを訪ね、E飢えた父に自分の乳を与えるペロ。右奥では松明を掲げ、F死者を埋葬する者を照らしている。これだけの行いと登場人物達を、ひとつの場所でのストーリー展開とする構成に、思わず唸らざるを得ない。その人物達に光と闇が錯綜する....。
 その行いを左頭上から見守る慈悲(ミゼリコルディア)の聖母とキリストのやさしげな眼差しに私は強く惹かれる。逃避行中のCARAVAGGIOらしからぬ「ぬくもり」に溢れているのだ(^^;。将に「エジプト逃避途中の休息」のようなやさしげなぬくもりがここに...。
 それにしても、慈悲の行いの画面から受ける喧騒感に満ちた頭上に、聖なる空間が存在するこの不思議さ!天使たちの翼が画面を大きく横切り、緑のリボンが聖母と下の人物達を繋ぐ….。若者の上着の緑に、ペロのスカートに…。 そして、左前上方よりの光を受けて天使の羽の影が牢獄の壁に映る時、この画面の空間はより広がりを見せるのだ!凄いとしか言いようがない(^^;。聖母子と天使の一団は頭上で圧倒的な存在感を示す。
 この絵の前で礼拝が行われているのを目にすると、このひとつひとつの慈悲の行いを実践しようとする信者(=鑑賞者)を得たCARAVAGGIOを、画家として幸せ者だと思う。慈悲(ミゼリコルディア)の聖母が彼ら信者を見守ってくださいますように...。
 

  ピオ・モンティ・ミゼリコルディア聖堂にはCARAVAGGIOだけでは無く、CARAVAGGIOに影響を受けたと思われるほぼ同時代のバロック期の画家たちの作品も飾られている。
 「San Pietoro Liberato Dal Carcere」(Batistello Caracciolo)など、まさにナポリのCaravaggeschi!右前の人物の足の裏の汚れ具合など、もうCARAVAGGIOの影響が大である。その他にも、「Gesu'e La Samaritana」(Fabrizio Santafede)、「San Paolino Liber Los Chiavo」(Ciovan Bernardo Azzolino,detto il Sicititiano)、「Deposizione Di Cristo」(Luca Giordano)、「Resurrezuone Dt Tabit」(Fabrizo Santafede)などの作品がそれぞれの慈悲の行いを描いている。ここにはCARAVAGGIOに影響を受けたナポリのバロックが凝縮されているように思われた。(メモを元に書いたので綴りが違っているかもしれません(^^;)

 教会を出る前、献金箱があったのでちょっと多めのお金を入れた。感謝の気持ちを表わしたかったのだ。そのおかげだろうか、その日、ナポリ中央駅でのIC列車運休というトラブルにもかかわらず、無事にローマへと発つことができたのだから(^^;。

2001/11/25 UP

戻る         次頁「ローマ奮闘記」へ