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2003年夏 フランス美術館鑑賞記
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Vittelを飲みながら(笑) ―

お気楽旅行記とも言える鑑賞記です。
気に入った作品をどんどん追加しながら取上げていきたいと思っています。
なお、CARAVAGGIO鑑賞記は別途掲出予定です。なにしろ、CARAVAGGIOは特別ですから(笑)


 
 今回のCARAVAGGIO追っかけフランス旅行はストラスブール( シュトラースブルク)から始まった。旅行の計画時、「受胎告知」のあるナンシーを地図で見ると、「イーゼンハイムの祭壇画」で有名なコルマールが近い。当然の如くタイトな日程に、更にストラスブールとコルマールが追加された。

  アルザス・ロレーヌ地方は昔から交通・交易の要所として開けていた土地柄であり、またフランスとドイツの国境に位置し、戦争により帰属国も変わるという不幸を味わっている。
 特に、アルザス地方は、どちらかと言えばドイツ的かもしれない…と感じたのは、甘いアルザス・ワインを飲んだ時だった(^^;。表記には極めてアバウトな私ではあるが、ここでは、フランス読みのストラスブールではなく、ドイツ語読みの シュトラースブルク表記を採用したかった(^^;

 表記のアバウトさもですが、アルファベット表記についても、フランス語のアクサンやドイツ語のウムラルト等が表記できないので、以下は正確な綴りとは言えません(^^;;

 ところで、フランスの美術館の殆どは火曜日が休館日でした。イアタリアや他の欧州各国は月曜日休館が多いのに...ね。 

  


 

◇ウンターリンデン美術館(Musee d'Unterlinden,Colmar 
   


ウンターリンデン美術館入口の注意書き
開館は季節変動があるので注意。

     
 今回のフランス国内移動はユーレイルパス(1等)を利用した。ストラスブールから急行列車で30分ほどでコルマールに到着する。駅からウンターリンデン美術館までタクシーを利用したが、それほどの距離でもなく、帰りは駅まで歩いて15分ぐらいだった。

 「イーゼンハイムの祭壇画」はコルマール近村イーゼンハイムの聖アントニウス修道院のために制作されたものだ。驚くことに、この修道院はグリューネヴァルトの祭壇画だけではなく、マルティン・ションガウアー(後で取上げます)の色彩パネルまであったという、実に贅沢な修道院だったのだ(・・;)

 祭壇画も、有名な「磔刑図」だけなのではない。本来はニコラス・フォン・ハーゲナウ(Nikolas von Haguenau)が制作した祭壇彫刻を中央に抱く、上部3層重ね下部2層重ねの観音扉状の折りたたみ式祭壇画になっているのだ。その模型も展示されていて、思わず開いては閉じ....元の姿を想像しながら遊んでしまった(^^;

 実際の祭壇画は、中央絵画部分だけでも、265cm×304cm という大作であり、さらには左右の作品がそれぞれ 269cm×140cm である。両翼を開いた時の大きさと、絵画自体の迫力に、当時の人々だって圧倒されたに違いない。
 多分大き過ぎるからだろうが、美術館では、第2面と第3面は、絵画パネルを中央部分と両翼部分の、2つに分けて展示している。

  

イーゼンハイム祭壇画(ISENHEIM ALTAPIECE)
1510-16年 パネルに油彩
グリューネヴァルト(Gruneweald :Mathiias von Aschaffenburg,1470/80-1528)

北方・ドイツ絵画における16世紀初期は後期ゴシックとルネサンスが並立していた時期だ。
グリューネヴァルトのこの祭壇画は、様式として後期ゴシックに位置されることもある。

第1面 左:「聖セバスチアヌス」 中央:「磔刑図」 右:「聖アントニウス」
下:「埋葬」
 
 
 この祭壇画の「磔刑」は、多分 私が今まで観てきた磔刑図の中で一番凄みのある作品である。いや、作品と言うのが憚れる故に、詳細な感想を書くのを 躊躇ってしまった。何故ならば、この祭壇画は「祈念」のための宗教画だから。私としては、絵画自体の重さに負けまいと(?)、鑑賞記として、なるべく軽く触れたいと思っている(^^;

    
  
  
 最前面正面がグリューネヴァルトによる壮絶な描写の「磔刑図」である。キリストの指は痙攣し空を突く。苦痛にねじれたのは足だけではなく、十字架自体も捻じ曲がっている。死相肌に残る茨の棘と鞭打ちの跡も生々しく、刑の凄惨さをグリューネヴァルトは恐ろしいほどの迫力で描写している。両足の甲に打ちつけられた黒々とした大きな釘と、たら〜っ....と滴り落ちる血も怖いくらいだ。

 このような死の様相を見たら聖母だって気絶するし、マグダラのマリア(衣装のサーモンピンクが画面に和らぎを与え美しい)も仰天嘆いてしまうだろう(^^;;。聖母を抱えるのは福音書記者の聖ヨハネ、画面右でキリストを指差すのは洗礼者ヨハネ。神の子羊が十字架杖を持ってかわいいのだが、胸から血が流れ落ち、金色の聖杯に注がれている....。

 キリストの死と同時にゴルゴダの丘は闇に包まれたのだが、この丘の奥行きと空間が闇の中に広がっている。その空間があるからこそ、北方絵画らしい、恐ろしいまでの磔刑の写実描写が生きているように思えた。この絵は遠くから観ると、背景のゴルゴダの丘が、一層パノラマ的な広がりを持って感じられる。2階テラスから眺めることもお薦めする。

 「磔刑図」を中心とした両翼の向って左が「聖セバスチアヌス」、右は「聖アントニウス」。聖アントニウスの衣の赤が印象的だったのだが…画家は高価なカーマインを20回も30回も塗り重ねているそうだ。
 祭壇画模写をした日本人画家・柳井伊都岐氏によると、祭壇画に漲る緊張感は、グリューネヴァルトが部分部分により下塗りを変えているためだと言う。「一体、何を考えているんだこいつは」と考え込むくらいの丁寧な仕事に真骨頂があるのだそうだ。(参考:「Agora」1999-5 。Thanks! 麻理子さん(^^))

   


 キリストの死とともに「太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。」(ルカによる福音書23-44)。

 キリストの死は神との新たな契約のために犠牲として捧げられた、人類の贖罪を負った死である。この祭壇画の前に立った信者にとって、その死の意味は深くて大きい。しかし、十字架上での死を遂げたキリストは必ず復活するであろう。側で洗礼者聖ヨハネが「彼はかならず栄え、私は滅びるであろう」と指し示し、復活を予告する
.



第2面 左:「受胎告知」 中央:「天使の合奏」 と「 聖母子」
 右:「昇天」
 下:「埋葬」
      
 扉絵パネルを開くと現れる「復活」は「磔刑」の凄惨さから一転して、光輝に包まれ上昇するキリストの復活を描いている。信者ではない私までほっと救われるような歓喜に襲われるのは何故だろう?
 凄惨きわまる磔刑描写により、信者はキリストの死の意味(=人類の贖罪を背負った死)を身体で受けとめ、心痛な祈りへと転化していっただろう。そして、この第2面で救われる....。ここには救済への祈りが込められているような気がした。

 
この第2面は「受胎告知」「天使たちの合奏」「生誕」「復活」と晴れやかな場面により構成されている。
 特に溜息をついたのは「生誕」を祝う「天使たちの合奏」。手前天使の衣装の色使いの凄さ!淡く微妙なトーンを使い分け、淡紅、淡水色、淡緑色....と、驚くほど細やかに色を変えているのだ。
 第2面の画面全体から感じられるのは、多様な色彩の効果であり、画家のこだわりが伺える。「昇天」の夜色さえ、様々な色を塗り分けていのだから。

 ちなみに、なんとも面白かったのが「受胎告知」の「え〜っ?」とでも言いそうな、マリアさまの 不審気な顔と思わず引いている横目使いである(笑)。美天使ガブリエルなのにねぇ(^^;
   
 
   


第3面 左:「聖アントニウスの誘惑」 中央:祭壇彫刻 
      右:「聖アントニウスの聖パウロ訪問」

   
      
 第3面、一番奥祭壇彫刻はニコラス・ハーゲナウによって既に修道院に設置されていたものだ。その30年後にグリューネヴァルトが両翼3段重ね観音開きの大祭壇画を完成させた。第3面、左翼は「聖アントニウスの聖パウロ訪問」、右翼は「聖アントニウスの誘惑」。

 ここでの注目は「誘惑」の悪魔・怪物たちだ。この手の怪物と言ったらヒエロニムス・ボスが筆頭にあげられるのだが、その影響は受けていると思う。更に、同じコルマール縁のマルティン・ションガウアーの影響も見逃せない。下に比較参照用に画像を紹介しているが、似ていると思うのは私だけだろうか?(^^;

 中世当時、聖アントニウス病という苦痛を伴う伝染病が流行したという。左2番目の帽子の怪物は聖アントニウス病を象徴したたとも言われている。まさに聖アントニウスにその快癒を祈念したのかもしれない。そう言えば、第1面の聖セバスチアヌスもペストからの守護聖人だ。聖アントニウス修道院は施療施設を併設していたらしい。
 この祭壇画に漲る緊張感は、全て切実な「祈り」に発している.....。
    
 
《参照:怪物考》    
       
ヒエロニムス・ボス
「聖アントニウスの誘惑」
グリューネヴァルト
「聖アントニウスの誘惑」
マルティン・ションガウアー 「聖アントニウスの誘惑」 グリューネヴァルト
「聖アントニウスの誘惑」

注: 「聖アントニウスの誘惑」は、聖アントニウスが荒野で修行中に、悪魔や怪物たちが邪魔しようとして、様々な誘惑や妨害を行ったと言うもの。

   
   
 この祭壇画から受ける、緊迫した祈りはグリューネヴァルト自身の切実な祈りでもあったのだろう。祭壇画はまさに宗教改革前夜ともいうべきカトリック教会混迷の時期に制作されている。完成ほどなく、1517年のルターの宗教改革の火の手が上がると、グリューネヴァルトはルター側改革派に身を投じた。彼の宗教的訴求は宗教改革に新たな拠所を見つけたのだろう。しかし、宗教画を排する改革派では彼の画業は成り立たない。彼のその類稀な素晴らしい才能は、皮肉な事に宗教改革の嵐の中で埋もれて行くことになる。なんだか、せつない話だ。しかし、彼の捨てた宗教画は、今 私たちが「宗教画の傑作」と呼び、こうして祭壇画として観ることができる。これも、皮肉と言うべきか....。

      

 鑑賞記はまだまだ続きます(^^;

2003/07/08 UP

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