Chronology
― 略年表 ―



Michelangelo Merisi da CARAVAGGIO
オッタビオ・レオーニ 筆
青い紙に赤と白のチョーク 23.4X16.3cm
フィレンツェ Biblioteca Marucelliana 所
 CARAVAGGIO (1571?〜1610)
 ( Michelangelo Merisi da CARAVAGGIO )
                                 
 本名: Michelangelo Merisi (ミケランジェロ・メリージ)
 通称: CARAVAGGIO(カラヴァッジオ)    
 愛称: Michele(ミケーレ)

  イタリア北部ミラノに近いベルガモ県CARAVAGGIO村出身

1571年? 9月29日、ベルガモ県カラヴァッジオ村出身のフェルモ・メリージの長男としてミラノに生まれる。母はフェルモの2度目の妻、ルチア・アラトーリ。父フェルモはカラヴァッジオ侯爵フランチェスコ1世スルフォッツァに仕える「マギステル」(建築家?)。 1571年 レパントの海戦 
    
1572年
 (1歳
弟ジョバンニ・バティスタ誕生。(後年、弟はローマで学び教会神父となる。) 1572年 聖バルテルミーの虐殺 
1572年 グレゴリウス13世 教皇就任(〜85年)
1573年 室町幕府滅亡         
   
1574年
 (3歳)
妹カテリーナ誕生。 1575年 長篠の戦
1576年 ハプスブルグ家のルドルフ2世即位
      対抗宗教改革を推進
 
1576年 ティツィアーノ没
 
1577年
 (6歳
) 
父フェルモはペストの猛威のためカラヴァッジオ村に戻り、死去。以後、母ルチアは長男ミケランジェロを溺愛、画家の性格形成に影響を与えたとも言われる。 1577年 ルーベンス生れる
1580年 スペイン、ポルトガルを併合(〜1640年)
1582年 本能寺の変
1582年 天正少年使節渡欧(〜90年) 
 
1583年
 (12歳)
カラヴァッジオ侯フランチェスコ1世死去。後継者は子息のムツィオ・スフォルツァ・コロンナ2世。コロンナ家の庇護がその後も続く。 1583年 アンニバレ・カラッチ《豆を食べる男》
 
1584年〜
 (13歳)

 
ミラノに戻り、シモーネ・ペテルツァーノの工房に4年間の契約で徒弟となる。
ペテルツァーノはティツィアーノの弟子と自称し、当時主流のマニエリスムより自然主義寄りの画家。カラヴァッジオもこのロンバルディアの自然主義の影響を受ける。
1585年 天正少年使節団、教皇グレゴリウス13世に謁見 
1585年 シクトゥス5世 教皇就任(〜90年)、
      
ローマの都市 改造が始まる。
1588年 アマルダの海戦
      イングランドがスペインの無敵艦隊を破る 
 
1590年
 (19歳)
母、ルチア・アラトーリ死去。 1590年 ウルバヌス7世 教皇即位(9/15-27)
1590年 グレゴリウス14世 教皇即位(〜91年)

1590年 秀吉の天下統一

 
1592年
 (21歳)
弟と妹と3人で遺産分配した後、画家はローマへ移住する。ミラノで不祥事(殺人??)を起こしたためとも言われる。
画家はベネチアをまわってローマに向ったのではないかという推測もなされている。初期の色彩にベネチア派の影響を見ることもできそうだ。
1591年 イノケンティウス9世 教皇即位(10-12月)
1591年 リベーラ生れる

1592年 クレメンス8世 教皇即位(〜1605年)
      
(アルドブランディーニ家出身
 
1593頃
 (22歳)
 
画家ジュゼッペ・チェーザリ・ダ・アルピーノの工房に入る。《「病めるバッカス》《果物籠を持つ少年》等 制作。




《病めるバッカス》の自画像
 
1595年
 (24歳)
デル・モンテ枢機卿に紹介され寄寓(所謂、画家とパトロン)。ヴィンセント・ジュスティニアーニ候等の保護を受け数々の作品を描き名を挙げる。「果物籠」もこの頃の制作。

   
1599年
 (28歳)
  
7月23日、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂に《聖マタイの召命》と《聖マタイの殉教》の制作を依頼される(1600年完成)。この作品の成功により名声が一挙に広まる。




《聖マタイの殉教》の自画像