Impression

― ナルキッソス異聞 ―



 ゲストのドリアンさんより下記の画像の紹介がありました。

  


 今回の「カラヴァッジョ展」では「ナルキッソス」も展示されていましたが、水面の姿は不鮮明であり、肉眼ではその顔をはっきりとは確認できませんでした。水面に揺れている像...という思い込みがあったためかもしれません。ところがこの画像を見ると、水面に映る顔が老人として描かれているように思われます。
 ということで、調べてみたことや色々推察してみた雑感をここに載せたいと思います。あくまでも個人的雑感なので、解釈に間違いが多いと思いますが悪しからずです。管理人の偏見が入っているので決して本当だとは思わないでください(^^;

 ◇ 「ナルキッソス」の水面に映った姿が老人であったならば..

 @水面に映った老人は神の姿なのか?

  カルヴェージによれば...ナルキッソスと水面に映った彼の両腕が形つくる「円形の環」の中に神と合一の象徴を、ナルキッソスのなかに神を見出したキリスト教徒を見、キリスト論的にこの絵を解釈している。

 ということは、ナルキッソス(キリスト教徒)は水面に神を見出した。すなわち老人は神であるということになります。キリスト教的解釈の絵画テーマがギリシア神話というのも、まぁ不思議なのですが、こういう解釈もありだと思いますね。有力説でしょう。


 A水面に映った老人は若者の未来?
 
  私的には、CARAVAGGIOが若者のナルシズムを嘲笑っているかに見えます。うぬぼれ青年も直に老人になる。うたかたの若さ・美かもしれません。彼の周りには絵のモデルになったような生意気盛りの若者が屯していたでしょうし、 CARAVAGGIO自身もバイ・セクシャル説のある画家だから、自己中心的な若者に翻弄さ れた経験もあるかもしれません。
   しかし、ナルキッソスとと水面に映る異相の姿を繋ぐ両腕による「円形の環」の中心に輝くのは、あ くまでも眩しく輝かしい若者の膝なのです。 美しい膝を持つ若者もやがては老いる。CARAVAGGIO自身も老いざるを得ない自分を観ている。 
 
 ということで、まだまだ説が続出しそうな作品ではあります。単なる「美しい絵」ではないところがCARAVAGGIOらしいところですね。また説を思いついたら追記します。


2002/01/17 UP

Bゲストの虹さんによる詩的解釈篇





カラバッジオは ナルキッソスに恋をした
いくら手に入れたくも手に入らない いとしいナスキッソス
自分の姿だけを見つめ 心をひらかないナルキッソス
そう それはまるで エコーがナルキッソスに恋焦がれたように 
そして彼を呼ぶ声だけになってしまったように

カラバッジオはナルキッソスに恋をした 
そして彼が見つめてばかりいる水面の彼に嫉妬した
いくら自分の美しさにみとれても 死よりも恐ろしい老いが訪れる
死んでしまえば永遠は手に入るけれども
生きながらえれば いつかは訪れる老い

水仙の花になり永遠を手に入れたナルキッソスに
おそろしいほどに嫉妬して
彼は水面にうつる影に老いを加えた
そしてなによりカラバッジオは
 自分自身がナルキッソスであることもおそろしいほどわかっていた


2002/01/23 UP

Cバリサケオさんによる 《カラヴァッジォの毒》 

誰もが『ナルキッソス』を美しい絵だと思っていた。400年を経てドリアン-Juneにより画家の意図が暴かれるまでは。
 
カラヴァッジォは美しいだけの絵を描いたのではなく『ナルキッソス』に『毒』を含ませていた。
水面の顔に意識がいかないようにした。視点はカラヴァッジォ一流の光と影にあふれたナルキッソス本人に集まる。これ以上描けないほどに美しくナルキッソスを描いて、視線を本人に集中させる。ナルキッソスの美しさがあまりに鮮明で、そこだけに注目する。絵を見る誰もが水面の顔はナルキッソスの影が投影されているものと思いこむ。
 
この発見までは、私も『ナルキッソス』をカラヴァッジォらしくない美しい絵と思っており、『見るべき絵』の一つであった。絵の美しい部分だけに惹かれていた。
画家の意図を知ってしまうと、Photoshopの助けを借りなくても、水面の醜い顔がわかる。単に美しいだけの絵では無くなってしまった。
 
カラヴァッジォはわれわれに密かに『毒』をおくった。画家の意図にまんまとはまってしまいカラヴァッジォが潜ませた毒に長い間気づかなかった。
 
実物を見てカラヴァッジォの毒を確かめないといけない。絵がローマに帰るのが待ち遠しい。
 
 
バリサケオ (在ベルギー)

2002/02/12 UP
 

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